冷涼な山国の暮らしに漬物づくりは欠かせない。台所で育まれる発酵の妙を遠く離れた食卓で味わおうとすれば作り手は品質保持に苦心します。
減塩ブームと温暖化の重なりに万能薬のように使われる添加物。そんな時流に一石を投じる朝市の漬物屋を飛騨に訪ねました。
漬物ステーキをご存じだろうか。標高6百メートル近い岐阜県高山市は冬場、日が沈むと氷点下に冷え込む。そんな晩には酒と肴が欲しいが、雪に埋もれた畑に青物はない。
そこで古漬を刻んで熱した鉄皿にのせ、卵を落として酸味をほどよく和ませる。世にも珍しいこの味を覚えると、懐が深い山国の食文化を敬わずにはいられない。
「昔はどの家にも北東の光の差しこまない漬物部屋があり、大概そこに四つほどの桶が並んでいました。一つは味噌、二つは漬物用。それに自家製醤油を仕込んだ桶と。漬物文化は冬の青物不足を補う知恵でした。
けれど20年くらい前から、各家で代々続いた自家製の漬物作りの風習が廃れてしまい、漬物桶も焚き木にされたりしていました」 そう語るのは飛騨人で4児の父でもある与嶋靖智(よしまやすのり)さん(1974年生まれ))。九州東海大で米作を学んだ農家5代目だが、飛騨に戻ると「未来がない」という周囲の反対をよそに後を継ぐと宣言。2.5ヘクタールの畑づくりと、祖母と母親が培った漬物づくりを受け継いだ。
当地には江戸期から続く朝市が二つ立つ。南北に流れる宮川の橋と橋を挟む川端がその一つで、毎朝7時には花や野菜や醸造品を並べた露店で埋まる。母の悦子さん(63歳)も笑みを絶やさず店先一時間半で漬物を商う。半日売ると午後から畑仕事や仕込みに励む。この宮川朝市は農家の大切な直売所なのだ。150軒を超えた40年ほど前、祖母がリヤカーで赤かぶなど自慢の野菜を運んで売った。高齢化で今は空きも目立つが、多くの農家が漬物の味を競いあう。
古来、朝市にはプロが開店前に仕入れにきたり、地元客が食材探しに集まってきた。
与嶋家の漬物づくりは40年前、祖母と母が朝市向けに始めたファミリービジネスである。「ナスや大根を買いたくても、重くて持ち帰れない」。そんな声に自家製漬物の直売を思いつき、季節毎の漬物づくりに挑んだ。
やがて国鉄(当時)の「ディスカバージャパン」到来で、朝市も一躍注目されて観光化。人波を前に、野に咲く花を摘んで並べても売れる時代だった。対面販売歴20年の悦子さんがその移り変わりを話す。
「毎日出ていると、お客さんが漬物を試食した様子ですぐ反応が分かります。いまでこそ無添加ですけど、昔は化学調味料が入らないと、物足りないという方が大勢いらした。家庭で漬けるならともかく、独特の風味をもつ伝統野菜の赤かぶ漬は土産物として受け入れられにくかった。それで化学調味料を当たり前に加えていました」
旅は味覚の思い出作り。祖母は無肥料無農薬で野菜を作っていたにもかかわらず、押寄せる観光客の舌に合わせて漬物に食品添加物を入れざるを得なかった。5代目曰く「なかには製造が追いつかず、メーカー品を買いつけ、別の袋に詰め替えて売る人や、味つけし直す店まであった。ラッキョウ漬も中国産をリパックしないと、あんな安値にはなりません。
2004年に加工食品類の原料原産地表示などが義務化されるまで、みな抵抗感もありませんでした」 折しも実家が高速道路の予定地に入り、田畑や住まいも代替地で一新を余儀なくされ、心機一転の好機だった。
そんなある日、家族会議を開く。「『食は人が良くなる』と書くとも聞く。少なくとも人に悪い食品は作りたくない。売れなくてもいい、これからは自分たちの納得のいくものを作ろう。本当の意味で、お客に害のないものを作って売ろう」
腹を決めると早かった。化学調味料も抜き、食塩は天日塩に替え、無添加でプラスチック桶に仕込んだ。だがそれを店先に並べてみると予想外の売上げ減少。漬物らしさが、いつのまにか消えていた。
子どもの頃からうまい漬物を食べつけていたのに、なぜあの味が再現できないのか。漬物桶がプラスチック製になって、近隣の年寄りも同じことを口にした。いくら軽くて作業は楽でも、風味が別物なのだと。
「考えたら、家で毎朝食べていた頃は、みな木桶に漬けていました。それで木桶に秘密があるのかもしれないと。でも売るほど仕込むには、木桶をあちこちからかき集めないといけない」
この話題が、地元紙のローカル版で記事になる。 長年使い込んだ漬物桶に格別な愛着を抱くお婆ちゃんたち。それを大切に使う物語に、「譲りたい」という声が続々と届く。結局、手元に集まった木桶は50個以上。
百リットルから3百リットルまで大小まちまちで、古くは天保時代の桶まである。桶は使わないとどんどん朽ちる。年に一度の漬け込みが漏れを防いで桶の命を延ばす。乾燥し過ぎると水分が抜けて用を成さない。緩めば竹のタガを締め直す。だが地元の桶屋さんは老齢で、新調はおろか修繕も難しい。幸い靖智さんの弟が伝統工法の大工だった。
「昔の道具をちゃんと使いこなしたい」と願い、弟に修理法を授けてもらった。漬物桶は水に強いサワラ材が良く、大きな酒桶や味噌桶はスギ材を使う。中味も重くて頑丈な味噌用と比べ、漬物用は華奢である。タガに用いる竹も外来種の孟宗(もうそう)竹(ちく)でなく、破竹や紫竹など地元産のものがいい。
靖智さんはいつも心のどこかで発酵を楽しんでいた。三重の畑で無肥料無農薬で栽培された大根を、冬の空っ風・鈴鹿おろしで干した後、飛騨でたくあん漬に仕込む。干すと自然に酵母菌がつくが、飛騨だとそれより先に大根が凍りつく。量産メーカーは大根を漬けるプラ桶に菌体を入れて片がつく。けれどそれでは仕事は楽しめない。
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