農園の日々の様子・メッセージと、お客様の声 〜園主コラム集〜
目 次
- ■わが家の食卓の風景から
- ■喰わず嫌い?
- ■不作な夏を過ぎ秋風さわやかに
- ■種まきから成長、収穫までの奇跡
- ■農家が伝える野菜の保存方法
- ■無肥料自然栽培は、野菜に肥(こえ)ををかけずに声(こえ)をかける
- ■キジとの縄張り争い〜私も野生動物か?〜
- ■表舞台と裏舞台のやさいたち
- ■人の心に響く、プロフェッショナルの作品とは
- ■想いはきっとかなう
- ■人と森、共に生きる道はあるのか
- ■1日休むと、野菜がガラリと変わる
- ■奇跡の人参
- ■毎年この季節が来ると想いだす事
- ■飛騨伝承枝豆〜はところし〜
- ■自然栽培・野菜セット宅配がはじまった歴史
- ■北海道 無肥料自然栽培農家 伊藤さんと出会う
- ■すっかり肩を落としてしまったとまとさん
- ■まるでクラシック音楽がながれるような農園を
- ■生きる命のざわめきや
- ■野菜畑からこんにちは。(見学会でのあいさつ)
- ■また会えたねという感覚
我が家の食卓の風景のなかから・・・
「わっ!虫がいる。足が6本あるよ〜 もうたべたくない〜」 野菜についている虫には、びっくりしますね。ときには野菜セットの箱を開けたら、バッタが飛び出してきたなんて話もあります。野菜に虫がついていると、ビックリ!、きもちワル〜いですね。
農家の我が家でさえ、ときどき台所から「きゃ〜! この虫、どうにかして〜」なんて、妻の悲鳴まで聞こえてきます。子どもたちも、虫は苦手です(野外の虫ならともかく、料理に入っていたらさすがにイヤですよね)。あるとき、子どもの皿の上に小さな小さな黒い点が・・・。「わっつ!虫がいるよ〜。ほら、足が6本あるやん。もうたべな〜い」。
無農薬栽培だから虫はつきもの、ということでは いけないので、収穫出荷のときには、できるだけ虫がついていないものを選んでいるのですが、葉の陰にひそんで、気づかずについてしまっているものや、アブラムシのように、小さすぎて取りきれないものなど、皆様へもご迷惑をおかけすることがあります。びっくりする気持ちは、農家の私たち家族でもそうなので、なお一層お客様にとってはビックリすることだと思います。
お客様の立場にたって、これからも、できるだけ品質の良いものをお届けできるように努力していきたいと思います。よしま農園の野菜は、不思議なことがあるようです。味が普通の野菜とは違うって・・・?!。
喰わず嫌い?
野菜嫌いな子がパクパク野菜を食べるようになったとか、苦手だったものが好きになっただとか・・・。あるお客さんで、夜の歯ぎしりで悩む5歳の子どもさんが、よしま農園のオクラを1日1本、食べはじめたら(オクラに適性があった)、歯ぎしりがなくなってきたそうです。
このお子さんは、野菜嫌いだったそうですが、「このオクラなら僕たべる」といったそうです。自分自身の身体に良いもの(身体が求めているもの)は、わかるのでしょうか・・・
驚いたことがひとつあります。我が家の子(1歳・成之)が、生のゴーヤにかぶりついていたのです。「いったい、お前の味覚はどうなってるんだ?」と、思ったのですが、味はしっかり分かるようです。料理したゴーヤも、「もっとほしい」と、言っているかのようにギャーギャー言ってゴーヤ料理の器に手を伸ばそうとするのです。
美味しい野菜、美味しい料理、嬉しいこと、楽しい食卓は、幸せになりますね ♪
○ゴボウ、早速送って下さいまして、ありがとうございました。すりおろしている最中から頭のてっぺんがグルグルして、とーってもエネルギーを頂いた感じで、食したとたん、急に目の前が明るくなった感じです。元気をいただきました。痛み止めを飲み忘れるくらい体が動いています。本当に、本当にありがとうございました。香りよくとても美味しいです。(北海道 NMさま)
○ゴボウが届きました。有難うございます。今朝はじめて頂きましたところ、身体がとても暖かくなり、スーッと軽くなりました。ひどかった肩こりも楽になり、驚いています。又、心も明るくなり、嬉しさ一杯です。(水戸市TYさま)
○お野菜セット届きました。有難うございます。スーパーで並んでいるお野菜を見ても何も感じないのに、よしま さんの野菜の箱を開けると何とも言えず、嬉しくなって、野菜を見ただけで感激し・・・・・何でかなぁ?と考えました。そしてきっと畑の妖精さんや小人さんも一緒についてきて下さるのかなぁ?と思いました。そして身体にも良いけれど、私は心も救って頂ける野菜だと思いました。(日立市SKさま)
○この度は、突然のフキの葉のお願いで、本当にありがとうございました。これまで一昨年と今年とで、2回のみました。定期的に必要と教えて頂き、今回はよしまさんから分けて頂くことができて、とても有り難いです。ご丁寧に作り方も入れて下さり、ありがとうございました。(神奈川県SMさま
○葉物セット・・・みずみずしく、素晴らしい美味しさで、ハッとするものがありました。あんなに美味しいわさび菜は初めてで、今まで嫌いだった子どもたちも「これ、おいしいー」と、言っていました。どれも清々しく、我が家にはもったいないのではーと思うほどでした。(特)人参、大根も、みずみずしくエネルギーを感じます。(中略)主人の手術から1年がたちました。今、こんなに平穏な日々を送っていることが奇跡だとやっと分かるようになりました。もったいないくらい幸せな毎日を送ることができ、感謝いたします。よしまさん の お野菜さんたたちには、どれほど助けていただいたかわかりません。(兵庫県MNさま)
○先日届いた枝豆、ものすごく美味しかったです。あんなに美味しいのは初めてで、うっとりしながら頂きました。子どもも、よほど美味しかったようで、あっという間にほとんど食べられてしまいました。「また、たのんでねー」と、何回も言うので、今年わ終わりよ、と言うと、涙目になっていました(笑)。ゴボウも、教えて頂いたように、お味噌汁に少し入れると、とても美味しいです。よしま さんの味噌にとても合いますね。(兵庫県HYさま)枝豆は、本当に美味しいというお声が多く、とても嬉しいです。どのような野菜も、特に子どもさんが喜んで食べることは、嬉しいですね。
○今回送って頂いた葉物のお野菜も美味しく頂いております。先日病院で血液検査を受けたところ、この10年以上正常値に達しないのは当たり前のようになっていた貧血が正常値にまで改善されていました。鉄剤をやめて
1か月余りお野菜を頂いていたおかげです。8月末に送って頂いた大量の大葉も、お薬のように毎食前に1枚ずついただいて、ようやく1袋食べ終わったところです。本当にありがとうございます!(神奈川県SMさま)
○みずみずしいミズナ、この野菜が高い中、これだけ新鮮なものを、こんなに豊かな量をこの価格で頂戴できることを本当に嬉しく思います。(東京都 STさま)
枝豆は本当に美味しかったです。ゆでて、大きなどんぶりに盛って食卓に出すと、あっというまに空になってしまいました。家族皆、今までこんな枝豆を食べたことがない。また頼んでと言われました。トマトも甘くて美味しくて、届いたらすぐ丸かじりしてしまいます。
ドレッシングもなにもいらないし、フルーツのような美味しさでした。ゴボウも煮て頂きましたが、やわらかくて、普通のゴボウより味がしみて美味しかったです。家族皆、ゴボウのファンです。その他、お野菜やお花が入っていて、めずらしいものがたくさん、箱を開けるのが毎回楽しみです。(東京都Tkさま)
不作な夏を過ぎ、秋風さわやかに・
(2011.11) 「どうして、こんなになってるんだろう?」・・・・次から次へと作物が枯れたり、実らなかったりすることが続き、今年の 9月は不作になりました。
飛騨高山は雪国です。野菜の収穫期間は短く、収穫できる野菜が夏に集中しているので、この夏は、農家としては思い入れもある季節です。いろいろなことを感じ、思いました。関東以北の農家さんの心情を思うことも頻繁です。
そしてまた、収穫という「結果」を求めることよりも、今、農業に取り組むことができる有り難さを思うことを常に心がけました。農業を「させていただいている」と思うようにしたら、力の入っていた肩が、スッと楽になる気がしましました。そのなかにあって、少しづつ、皆さまのもとに野菜セットをお届けさせて頂きました。それに伴い、喜びの声やお礼の声が寄せられてきました。そのお心をいただくときに、とても励みになり、力づけられてきました。
私の心が、まるで荒波のなかにあるように、心へこむたびに、逆に「私は、ほんとうに幸せな百姓だ」と何度も思うことがあり、元気が湧いてきて、畑にでることができました。その心を原動力にして、晩秋に向けていろいろな野菜の種まきをしています。
10月ころから葉物野菜(小松菜、ミズナ、ミックスリーフ、レタスなどなど)が収穫できる予定です。お楽しみに・・・
○にんじんさんは、小さいですが、それでも日々心の緊張や体のこわばりがす〜っとほぐれていく体感をしました。本当に感謝です。また、季節のお花をいつもありがとうございます。大変慰められました。ありがとうございました。(福島県郡山市 SMさま)
○届けていただいた野菜大切にいただいてます。初めての人参葉のてんぷら、美味しかったです。日頃、トマトは必ず皮をむき、きゅうりはピーラーでまだらに皮をむいて食していましたが、全てまるごといただきました。
どの野菜もじつに密度、味が濃くパワーをいただける気がして家族も喜んでおります。とくに子供達はトマトの美味しさにびっくりしておりました。野菜づくり、御苦労もあるかと思いますが届けていただく野菜を楽しみにしております。上薬になる野菜のお話も目からウロコでした。今後ともよろしくお願い致します。(東京都SHさま)
○夏野菜、ちゃんと届きました。おとといは、かぼちゃをいただきましたが、柔らかく甘くてとってもおいしかったです。あのサイズ、かわいいし扱いやすくてちょうど良かったです。スーパーでは見かけない!昨夜はエンサイを使った炒め物しましたが、ぽりぽりとした食感がおもしろくもちろんおいしくて家族に大好評でした。
今朝はトマトケチャップとバジルを軽く炒めてソースにしたものをハムにかけて食卓に出しましたが朝からちょっと手の込んだ風な実は手ぬきなイタリアン。生のバジルなんて贅沢です。今まであまり旬を意識していなかったのですが、とってもいいですね。しかも安全で安心な野菜が食べられるなんて感謝です。
かわいいお花もありがとうございした。箱を空けた瞬間真っ先に目に飛び込んできてびっくり。あの地震の日からお花を手にしたのは初めてです。無心でお花に触れ、なごむことが出来ました。次回はお漬け物も一緒にお願いしたいと思っています。よかったらまた注文させて下さいね。最後になりましたが、また暑さが戻ってきたようです。ご家族の皆さまも熱中症などお気をつけてお過ごしください。ありがとうございました。
○久々の夏野菜、とても美味しく体中が生き帰るようでした。ありがとうございました。お花もとてもキレイでちょうど「なでしこ」が送ってきて、癒されました。(福岡県INさま)お花を快く受け取って頂き、とても嬉しいです。花の力は、すごいですね。年々、花の種類も増えています。来年はバラ栽培も本格的に計画中です。お楽しみに・・・。
○いつも大変お世話になりましてありがとうございます。沢山の人参とお花をお送り頂き、有難うございました。おかげさまでやっとこの頃、左耳の耳鳴りが無くなりました。ひき続き毎晩人参を頂いて健康維持に努めます。季節のお便り読ませて頂き、「お野菜さんが喜びのためにたくさん働いてくれていること、人間も見習わないと」と思いました。(仙台市青葉区 WKさま)
○・・・・・この度は、私の発症したヘルペスに伴い、即座に口の荒れに良い「オクラ」を送って下さり、本当にありがとうございました。また、大好物のトマトと、シソの葉、そしてキレイなお花まで送ってくださって、本当にありがとうございました。昨夜に早速オクラとトマトと、シソの葉を一度に頂いたのですが、なんと食後30分から1時間くらいしたら口の荒れ(ひりひり)が治まっているのに気づいてとても感激したのです(泣)!。
薬では全く良くならなかったのでとても嬉しかったです。(千葉県ORさま)
○いつも美味しいお野菜と可憐なお花をありがとうございます。私、1か月ごとに糖尿病の検査に病院に伺っています。先日病院に行き、1か月前の検査結果を伺いました。お医者様が「前よりさらに良くなっています。
不思議なくらいです」と言って頂きました。私も特別なことはしないのに・・・と思いましたが、その頃ちょうど、よしま様から頂いたサラダ菜を食べていた時期のデータです。コレステロールもヘモグロビンもとても良い状態に下がっていました。・・・・・本当に有り難くてたまりません。愛情たっぷりの身体に良いお野菜を作って頂き、本当にありがたく感謝申し上げます。(東京都UIさま)
種まきから成長まで、
身をささげ、そして収穫のときを迎える野菜は奇跡
・・・・そして、皆様のもとへ届く野菜たちがもたらす ファンタスティックな世界があるのかも・・・】
(2011.8)よしま農園の大地と野菜たち。言葉をいわぬとも、心があり、愛がある。ときおり野菜たちからのメッセージを受けるとき、私の心にはファンタスティックな世界がひろがってゆきます。
その野菜たちと私との関係は・・・・4月のこと。6歳の娘(真菜)が原因不明の高熱が続き、入学式翌日から学校を休んでしまいました
。はじめは、軽い風邪だろうと思っていたのですが、熱が下がることなく状態は悪化し、食欲もなく衰弱していったため、病院で受診したところ、「このまますぐに入院してください。大きな病気になっている可能性があります」と、医者の診断。
小さな体に点滴をつなぎ、なきじゃくる娘をなだめることは、私にとって痛烈に辛いことでした。これほど私の心は弱く小さかったのか、と自分自身を見つめると同時に、辛くても耐えようとする子どもの強さを知りました。その後、精密検査でも原因がわからないまま、1週間の入院が続きましたが、不思議なほどに回復し、無事退院。
今では毎日学校へニコニコ笑いながら通学しています。とても嬉しく、ホッとしました。じつは、その後に、農園の野菜たちが入院中の娘の回復のために、大きな力添えをしてくれていたことを知りました。
■インゲンの成長がとても弱く、収穫が無かったことでインゲンたちからのメッセージ・・・・よしまさんが大好きです。よしまさんが辛い思いをしないように、こども(娘)が病気になるのを身代わって、引き受けていたから、成長せず、力尽きていたのです。
■種まきしたキュウリの新芽が枯れて、芽が出なかったとき・・・・キュウリからのメッセージ病気の子どもを助けたいと思い、新芽のエネルギーを子どもに精一杯注いでいたのです。
東日本大震災の後、原発問題、さらなる災害への恐怖などで、私たちの思いは不安心配に包まれてしまいそうになります。そのマイナスな状況が続き、明るく前向きな心になりにくいこのごろです。ナスが実をつける前の小さなときに、びっくりするほどのアブラムシが葉につき始めました。あまりにもアブラムシの勢いが強く、ナスの成長が負けてしまい、どんどんナスが衰弱し、枯れてゆきました。
■ナスたちからのメッセージ→人々のマイナスな思いを引き受けています。ナスがそのマイナスを受けるほど、アブラムシがつきますが、そのとき、逆に人の心は自然に楽になっていることでしょう・・・・農園のナスは、私達の心が明るく前向きになることを願っていたのです。ナスたちは、献身的に自らを犠牲にしながらも人々の心の支えになることを願っているのでした。
その後、約180本のナスたちは、その生きる力を尽くし、枯れ尽きてゆきました。「ナスたちよ、ありがとう。ありがとう!。」
・このほか、日常的に野菜たちが私へ、いろいろなメッセージを送っています。たとえば、家族がケガをすることを未然に防ぐために教えてくれたこと、子どもの成長期の子育てで、どのように子どもに接したらよいのかを教えてくれたこと、私への心の励ましや力添えにエネルギーを注いでくれていたことなどなど・・・なんとも不思議な話ですが、農園では、日常的に野菜たちと私とのドラマが展開しています。
野菜たちは、収穫されるだけが恵みではなく、その成長 期にあっても、身を捧げ、人に愛を尽くしてゆきます。現象としては、枯れたり、虫がついたり(虫の知らせ)、普通に成長しないことのような異変の姿が、メッセージそのものであり、その姿をもって私へ何かを伝えようとしてくるのです。
畑では収穫まで育たないものが多くあります。収穫まで育った野菜は、奇跡です。予定どおりに野菜が育たず、収穫ができないことは、農家としては不都合なことで、つらいことです。ナスの枯れゆく姿を前に、私はナスたちに心よりの感謝ができているだろうか?。
「残念だ」「困った事だ」とだけ思い落胆していたのならば、そこに身を尽くし、心を尽くしている野菜たちの愛を感じることとは間逆なことになっているのかもしれません。
「あなたは、この愛・うけとめますか?・・・」
野菜たちからいつも、問いかけられているような気がします。
ナスが枯れた畑には、また再び、新しく小さなナスの苗が植えられて、成長をはじめています。今年、もしナスが収穫されることがあれば、それは私達の身体の栄養となる以上に、心に安心感と癒しをもたらすような、ナスになるのかもしれません。ナスの心が伝わるときです。そのことが何よりもナスたちの喜びなのかもしれません。
その収穫の日を楽しみに、ナスの成長を見守ってゆきます。そしてまた、インゲン畑の隣には、インゲンが播かれました。キュウリも新しく成長を始めています。私自身があきらめることなく、野菜たちへのそそぐ心をもち、前向きに種を播き続けることが続けば、畑では私と野菜たちの対話は繰り広げられ、時がながれゆきます。
よしま農園の野菜たちが皆様のお手元に届くとき、皆様の心に響く何かがあれば、それはまた皆様のもとで、ファンタスティックな世界が広がっているひとときなのかもしませんね♪
【注】私は野菜の声が聞こえるということはないので、メッセージとは、分かる人を通じて聞き知った内容です。
お客様の声
○いつも人参さんをありがとうございます。抗がん剤も無事に終わり抜けていた髪の毛も早速生えて、同じ癌仲間にびっくりされております。人参さんのおかげと感謝しております。(AHさま)
○ちいさな小さな人参さんを見ていると涙があふれてきました。早速教えて頂いたようにして頂きました。どなたか人が一瞬現れた気がして左側が温かくなり、その後、マントか毛布を背中から掛けて頂いたような感じで、あたたかく包まれて安心感で、また涙が止まらなくなりました。(兵庫県)
○お花と一緒に人参を送って頂き、どうもありがとうございました。雪の下人参さんを飲む前は後頭部の痛みが増していて(腎、心、脾臓の未病ということです)辛かったです。飲み始めて徐々に痛みがやわらぎ3日目にはほとんど感じることが無くなりました。大変ありがたいです。本当にありがとうございました。(栃木県KTさま)
○人参、ありがとうございました。メマイ、吐き気で動けなくなっていましたが、人参を口にゆっくりふくみ飲みましたら、30分ほどで動けるようになりました。吐き気もメマイも止まっていました。びっくりです。人参も毎日頂けるのが嬉しくて安心です。よしまさん、ありがとうございす。(愛知県YAさま)
○お世話になっております。肘に痛みがあり、人参さんを進められました。痛みがだいぶよくなりました。ありがとうございます。[神奈川県SMさま]
○(治)ミニ大根届きました。さっそくかじってみました。うわーっとあたたかくなってびっくりでした(冷え性なのですが)。嬉しい限りです。(東京都YNさま)
○よしまさんの人参さんや、おまかせ野菜セットを頂いてから、娘は疲れにくく、集中力がついてくるなど、心身共に強くなったように感じています。そして私は心を楽にさせて頂きました。毎日、自分自身のことで大きく抱えてきた不安があったのですが、その不安を消していただきました。ありがとうございました。(三重県Iさま)
○3ヶ月、ミニ大根有難うございます。お正月に少しの間口にしない期間があり、暴食ぎみでしたが、よしまさんの大根をちゃんと頂くようになって、胃腸の調子がもどりました。なんだか、おなか から安心するような感じがします。(大阪府KEさま)
(2011.6)
今年は、過酷な年でした。春ころは、作物が思うように育たず、畑の土壌もゴロゴロ、カチカチに固まっていました。
6月ころは、もう疲れきってしまいヘトヘトでした。
その反面、今年の私の心境は、畑に立つと、なんだか不思議なくらい「嬉しいなぁ〜、楽しいなぁ〜」と、イイ気分がわいてくるのでした。そんな私を見て、姉が「今年の靖智(←私)の顔見ると、イイ顔してる。去年までは、はなんだか難しそうな怖い顔していたけど、今年は会っても気持ちいいから、きっといい野菜ができるかなぁ、と思ってたよ」と、言っていました。ずいぶん、いいことみたいです。
今年も、野菜たちはいろいろなパフォーマンスを見せてくれました。そして私たち家族を応援してくれました。私自身、畑に出ることができる時間が十分なかったのですが、すべてのことが不思議なくらいにスムーズに進みました。
そして、夏もまだ盛りのとき、トマト達は、あっという間に枯れ果ててしまいましたが、その後に種まきした葉物野菜がびっくりするくらいにスクスクと生育し、晩秋には思いがけず、豊かな収穫を用意してくれました。
大きなレタスがなり、シャキシャキのミズナが育ち、チンゲンサイも立派でした。今まで不可能だったことが形になってきたのです。まさにミラクル!。逆に、その裏には収穫できなかったものもたくさんありました。種を播いても、生育せず、途中で消えていく野菜も多かったのでが、大変だと思うようなことも、結果はすべてのことが畑と私にとって、最高に良いことでした。
田畑はまた、野山の動物たちにとっても格好の良き食卓?のようでした。深夜には、クマ、イノシシ、カモシカ、ウサギ、タヌキなどなどが一同に集まってきているのがわかりました。
朝畑に行くと、いろいろな動物たちの足跡が無数に残されています。大豆、冬瓜、かぼちゃ、ジャガイモ、お米など、いろいろな作物を食べて頂いたのですが、それら動物たちは今を生きるために精一杯です。その命をつなぐ食べ物として提供したと思えば、動物たちからの「ありがとう」が伝わってくるようで、私自身に悔しさはなく、逆に満足で、愉快でした。
食べ物で人を養うこと以外に、同じ命としての山々の動物たちをも養うようなことができれば、それは新しい農業のスタイルなのかもしれません。・・・・夜の畑は動物たちの晩餐会場です。
農家が伝える野菜の保存方法
届いた野菜の保存方法について・・・新聞紙を使った保存は、避けたほうがいいと思います。
ドカッと届いた野菜をなるべく新鮮な状態で、長く保存して使うには?・・・
【一番良い方法】ポリ袋にいれた状態で口元を閉じて冷蔵庫に入れます。少々蒸れるようであっても大丈夫。
どんな野菜でも水分が80%以上あります。劣化の原因のひとつに、しなびてしまうことがあげられますが、いつまでもハリと潤いを保つには、ポリ袋が最適です。ラップで包んでもOKです。よしま農園の野菜がひとつひとつ袋に個別包装されているのも、このためです。届いた袋のまま冷蔵庫に入れていただいて大丈夫です。この方法で葉物で約2週間、人参や大根なら、最長で5か月ほど保存できることもあります。
【避けてほしいこと】新聞紙で包んで冷蔵庫に入れることが良いというのは?←これはダメです!!迷信です。
そもそも新聞紙には揮発性の高い、高濃度の化学性インクが使用されています。その紙で野菜を包むと、その有害な化学物質が野菜に染み移ってしまいます。せっかくの無農薬野菜が台無しです。また、紙に野菜の水分が逆吸収されて、野菜本来のハリと潤いが失われます。
化学物質過敏症(住居や、食物毒など)を訴える方の場合、新聞紙の揮発性化学物質は大きな害を与えることがあります。たとえば、野菜セットなどで、箱の隙間にクッション代わりに新聞紙を丸めて入れた場合、その箱を開けたとたんに、その化学物質の臭いで、めまいが起こるなどの報告があります(重度の患者さんの場合)。よしま農園の野菜セットの箱の中に新聞紙が使われないのはこのことに配慮しているためです。
〜 お客様からの声 〜
○お任せ野菜セットさん、2回毎日少しづつ頂かせていただき、少しの量でも体の中、ぽかぽかと暖かくなり、すごく嬉しいですし、ワクワクしてきます。いただかせて頂くようになってから、体調もよく、ありがたいです。本当にありがとうございます。よしまさんのお野菜さんに出会えてすごくありがたいです。(神奈川県SMさま)
○よしま さんの小松菜は、とても甘く、蒸してそのまま頂きますが、すぐ無くなってしまいます。 (東京都MMさま)
○人参の葉、ありがとうございました。天ぷらにしたり、チリメンとふりかけを作ったり、美味しく食べました。グラスに小花と一緒に飾り食卓を楽しませてくれています。(東京都kkさま)
○枝豆美味しく頂いています。昨年より登場を心待ちにしておりました。この美味しさはやみつきですね。(IAさま)
○今日、お野菜・人参届きました。本当に本当にありがとうございます。今、毎週の治療で精神的肉体的にかなりまいっていました。人参、手にとった時、本当に心から喜びがあふれてきました。有り難く感謝です。丹精こめて育てて頂いたお野菜、大事に食させて頂きます。一言、どうしてもお礼いいたくてお手紙書きました。(三重県Uさま)
○いつも心のこもったお野菜ありがとうございます。お花もありがとうございます。昨日、お野菜が届きましたので、ミズナと豚肉でシャブシャブをいたしましたところ、主人や娘達も「今日の水菜おいしいなぁ」と、いつもと違う野菜に気づいてくれました。私からは与嶋さんのお野菜とは言っていないので、とても嬉しくなりました。本当においしかったです。(埼玉県AMさま)
無肥料自然栽培は、肥(こえ)をかけず、声(こえ)をそそぐ
暑すぎるくらいの夏も落ち着き、秋風が吹いてきました。この夏は、厳しさもありましたが、恵みのほうが多かったと思います。おまかせ野菜セットのお届けも進み、皆様からの感想のお声が寄せられるようになりました。
喜びの声、励ましの声、そして品質に対してご意見・ご指摘いただいた声、などなどすべてが私にとっての何よりの肥やし(こやし)です。無肥料無農薬無堆肥の栽培方法では、肥(こえ)は与えませんが、声(こえ=心)をかけると良いといわれます。「土づくりは、農家の心が影響する」そうですが、それ以上に、皆様から寄せられるお声(こころ)によって、よしま農園の土壌は、良くなってくるような気がします。そして、これからうまれる野菜たちが、いっそう楽しみです。
皆様よりの喜びの声を頂くとき、それは、なによりも私身にとっての励みになり、心に力付きます。ありがとうございます。
〜 お客様からの声 〜
○(特)だいこん・・・2日ほど前の夜中に25歳になる娘が気管支炎になったようで、もともと小児喘息も過去にあり、立ち上がってしまうほど苦しい咳が夜中に続き、どうすることもできずにたださすってあげる事しかできずにいましたが、よしまさんの(特)大根さんを思い出し、1本すぐに食べさせてみました。
すると、どうでしょう。まるでマジックでもかけてもらったかのように咳が止まり、翌日も大丈夫でした。あんなにひどい咳が止まったのです。驚きと共に感謝の気持ちでいっぱいになりました。(埼玉県AMさま)
○本日は嬉しい報告をいたします。父の前立腺ガンに、よしま農園さんの (特)人参を教えていただき、6月、7月と、よしまさんより送っていただきました。それをすりおろし、毎日就寝前に食べてもらいました。すると8月に入ってからの血液検査でマーカー値が正常になっておりました。父も私も大変びっくりしましたが、すぐに人参が頭に浮かびました。ありがとうございます。又、平行していが野の農園の瀬川さんが届けて下さいますお野菜をジュースにして飲み、卵も欠かさず食べてもらっています。その効果もかなり高いと思っております。(三重県KKさま)
○(特)オクラ・・・めまい に対して・・・・ありがとうございます。今朝受け取り、さっそくひとつ頂きました。食べた瞬間、涙が出そうになりました。めまいを治していただくと同時に、心にも暖かいものが届いた感じでした。また、お花も有難うございました。(岡山県MKさま)
○やさしいお野菜ありがとうございます。一緒に届いたお花を手にした途端、気持ちがパーッと明るくなりました。娘が一人暮らしをはじめて4ヶ月、さびしくなっていたところに届いたので、本当に嬉しかったです。(ITさま)
○ いつも美味しいお野菜を届けて下さって有難うございます。毎週新しいお野菜が入っていて毎回箱を開けるのがとっても楽しみです。どのお野菜も新鮮で本当に美味しいです!!野菜の栄養と野菜から出るエネルギーから力をもらってこの夏の暑さを乗り切ろうと思います。マクワウリ、食べごろを送って下さって有難うございました。
とっても甘くて美味しかったです。毎回心のこもったお手紙も嬉しいです。お気遣いを有難うございます。さらに、毎回沢山のお花を本当に本当に有難うございます。m(_)m (奈良県SFさま)
○すばらしいお花をありがとうございました。いつもいつもありがとうございます。長男、ゴーヤが苦手で避けていたのですが、「おかわり」していました。やったぁ!(千葉県IAさま)
○さっそく野菜をお送りいただき、ありがとうございました。たくさんのお花いつもとてもなつかしい良い香りが心一杯に満たされ幸せです。可愛いお花さんたちで、またトマトも別に入れてくださるなどのお心遣い本当に感謝いたします。
ピチピチハツラツのお野菜さん美味しかったです。梅も茗荷漬も、本当に美味しいです。息子が茗荷の酢漬けを食べたのには驚きでした。毎食食べさせていただいています。これから毎週楽しみです。このワクワク感なんともいえません。毎日暑い日が続いていますが、よしま様ご家族皆様がお元気でいてくださり、本当にありがたいです。(東京都IAさま)
○人間ドックで肝機能の数値が高く、C型肝炎の疑、という検査結果でした。藤野さんに伺ったところ、与嶋さんの(特)雪ノ下人参を3ヶ月間食するように教えていただき、3ヶ月目には数値が下がり問題はなくなりました。(正常値)(薬などは一切のまず人参のみです)お礼が遅くなりましたが、とても安心しています。ありがとうございました。(MTさま)
○こ2ヶ月ほど(特)ミニ大根を頂いてきました。お蔭様でだいぶ体が楽になってきました。体力が付いてきたせいか、気持ちもずっと軽くなってきました。本当にありがとうございました。また、お世話になる事があると思います。これからもよろしくお願い致します。本当にありがとうございました。(東京都NMさま)
(2010,9)
キジとの縄張り争いのなかで?!・・・私も野生動物か?
「わっ!見つかった。 わ〜また追いかけてきた〜 こらっ!そんなに近寄るな」←これ、私のセリフです。
春から、綺麗な羽の雄キジが畑にやってきます。はじめは人に恐れない可愛いキジだなぁ〜くらいに思っていましたが、畑で私の姿を見つけるやいなや、私のもとへ走ってきて、農作業中の私のすぐ側(2m以内)にずっと付き添って、テクテク歩いてきます。
車に乗れば、飛んで追いかけてきます。それがエスカレートして、今では私に威嚇(いかく)しながら、頻繁に私に向かって飛んで襲いかかってくるのです。やぁ〜これでは農作業になりませんわ。
「イイカゲンにせ〜! ここは、ワシの縄張りじゃ!」←これも私のセリフ。どうやら、キジは私のことを人間だとは見えていないようで、同じ雄キジだと思って一生懸命縄張り争いしているとしか思えないです。ちなみに、いまだに両者ゆずらずで、毎日こんなやりとりのくり返しです。ユニークでしょ? 私は本気なのですが・・・。
そういえば、昨年の秋には野生のカモシカが、畑にある機械倉庫を気に入って、昼の暑い時になると、毎日、涼みにやってきて、すっかり居心地よさそうにウトウトとしていました。カモシカもまた、私を人間だと見ていないのか? 私が近くに寄って一緒に座り込んでも、全く警戒せずに、お互いに、のんびり休憩していたことがあります。
このときは、「友達」という感じでした。このカモシカ君とは、ずいぶん色々なことを話しました。特に返事はなく、私からの一歩通行でしたが、お互いのなかに生れた信頼関係は、私にとってはとても心地よいものでした。
この調子でいけば、倉庫にいるネズミに話ができるかもしれない。「お前達!ここは本来の住家じゃないから、すぐにここから出て行きなさい!」。姿を見せないネズミに説得したのですが、そう簡単にネズミたちも身をひきません。動物たちのなかでも、性格というのがあるそうです。例えば、この倉庫のネズミは「我」が強い(聞く耳もたない)とか・・・・・
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〜 人と自然が共にいきてゆく道 〜
いまだ人は自然界には受け入れられていない。環境破壊、乱開発など、人は我欲の追及でこの地球に生きている。 人は自然のなかでしか生きられないということを知っているはずなのに・・・。 自然界の者たちは、あきらめることなく、人との対話を望み、人と共に生きることを望み、人を愛している。畑に生れる野菜たちを食するとき、その大自然の愛の息吹を受け取っていただけますように。
・・・・・・・・・・・なぜなら、生れてきた野菜たちは、真(まこと)の自然の恵みだからこそ。
表舞台の野菜と、裏舞台の野菜たち
よしま農園の野菜は、畑に作付けされながら、収穫されない野菜が多くあります。
野菜の品目は30種類ほどありますが、実際に収穫されるのはそのうちの15種類ほどでしょうか。野菜たちにとって皆様のお手元に届き、食卓にならぶときが「ハレの舞台」です。野菜たちにとっても、私にとっても、とても嬉しいときです。ハレの表舞台があれば、裏舞台もあります。
その裏舞台の野菜たちも、私にとっては大切な存在です。ではなぜ、表に立てないのか・・・。種を蒔いても、芽がでないもの。芽がでてからも、全く育たずに消えていくもの。最初は立派な苗でも、その後大きくなることなく一生を終えていくもの・・・。
なかには小さくとも小さいなりにハレの舞台に立つことができるものもあります。大根や、人参が代表的なものです。モノの姿形ではなく、その価値を活かしていただけるのはとても嬉しいことです。
しかし、例えばキャベツはキャベツの形になることはなく、ほうれん草は、2センチくらいの芽のままでは、食用にはできないなど、畑のなかでそのままの生涯を終えてゆくもののほうが、圧倒的多数あります。また、ハレの舞台の野菜たちも、収穫量は一般的な標準量と比べると2割から3割程度未満が精一杯です。
農業を成り立たせていくためには、表舞台に立つ野菜、つまり出荷販売される野菜をいかに多く生産するかが結果として必要になりますが、そのようには、うまくいかないものです。しかし、私にとっては畑にたつときは、裏も表も関係なく、全ての野菜に対して精一杯の心をかけ、お世話をかけています。舞台は裏方がいるからこそ成り立ちます。さて、よしま農園の裏舞台の野菜たちは、どのような役割を担っているのでしょうか?
人の心に響く、プロフェッショナルの作品とは、♪
私が農業をはじめてから10年以上が経ちました。
それは私の無農薬無肥料栽培を積み重ねてきた年月です。なんどもなんども種を蒔き続けてきました。作物が育たないこと、収穫ができないことの連続です。
収穫よりも、畑で廃棄していくもののほうが多かったでしょうか。何年も繰り返していると、ときどき心の希望が消えかけて、種を蒔く前から作物ができない姿が脳裏に浮かんできてしまうことがあります。
「今年こそは、必ずよくなる・・・」そう自分自身に言い聞かせるように希望の火をつけなおしますが、さすがにヘトヘトに心も身体も疲れきってしまうこともあります。
「失敗は繰り返さないように」、という教訓がありますが、私にとっての、作物ができなかったということは、失敗ではなく、大切な積み重ねです。農業は人の力を超えたもののほうが多いようです。
そんなある日、テレビで世界的ピアニストの辻井伸行さん(1988年生まれ)の紹介番組が放映されていました。生まれつき全盲という大きなハンディをもちながらも、世界でトップクラスのコンクールで何度も優勝を得るほどの演奏を奏でます。そのピアノの音色は多くの人に感動を与え、心に響きます。その演奏は、彼自身の才能からなのでしょうか。興味深いのは、彼がそれに至るまでには、幼少期より多くの困難を乗り越え、人並み以上の練習を重ね、絶え間ない努力を重ねてきた背景があるようです。
人の心に響くものは色々あります。高い芸術作品や、音楽、時には美味しい料理のときもあるでしょう。それらのプロフェッショナルに共通していることは、人並み以上の努力を重ねていること、多くの困難を乗り越えてきたこと、そしてもうひとつ、なによりも「そのことが大好きだから」もあるのではないでしょうか。
私にとっての農業も、うまくいかないことや、繰り返す苦労があれば、それは「練習」であり、絶え間ない「努力」。そして何よりも「農業が好きだから」の初心を忘れずにいたいと思います。
想いは、きっと叶う♪
今、ブームのマンゴージュースを飲みながら、「本当のマンゴーを食べたいなぁ」と妻と会話をしていました。
すると、その数日後に何気なく立ち寄った喫茶店でなんと、マンゴーパフェを発見! 完熟マンゴーをたっぷり使った贅沢なパフェです。ちなみに800円でしたが、食べて大満足でした。口のなかでとろける甘味が最高!。店員さんによると、その日が一番熟して美味しい時だったそうです。想いは叶うのですね。それも最高な形で・・・。
先日、「東京バナナ」というお菓子をお客さんが手土産で持ってきてくださいました。とても美味しくて、すっかり気に入ったので、箱のなかにあったパンフレットをみると、そのお菓子の姉妹商品で「銀座のイチゴケーキ」という、モット美味しそうなお菓子が紹介されていました。食べたいなぁーっと思っていたら、その数日後、東京に行く予定があり、さっそく駅の売店で、「あっ!東京バナナみつけた」つづけて「あっ!銀座のイチゴ、見つけた!!」。
早速、家族へのお土産にゲットしました。想いは叶うのですね。それも、こんなに早く・・・。
海釣りが趣味になってから、黒鯛を釣り上げることを夢見て、何度も富山湾に行きました。いつもボウズ(お目当ての魚が釣れない事)をくり返していましたが、釣りをはじめてからちょうど
1年目に、やりました!。
42センチの黒鯛を釣り上げました!。おまけに当日は40センチ級の鯖やフクラギなど、入れ食いの爆釣でした。あきらめずに続けてきたからこそ、想いは叶うのですね。それも想像以上に・・・。
よ〜しっ!今年はどんな大物の野菜が釣れるか(←収穫できるか)??! 心の想像は、創造です。きっと、想いはかなうはず。野菜づくりも、まだ見ぬ大物をゲットすることを夢見て、ワクワクします。根性だして頑張ります!!
お客様からの声
○(特)にんじんさんの効果はすごいです。糖尿病である主人は、いつも身体がだるそうで、朝の目覚めも悪く、元気がありませんでしたが、このところ朝の目覚めも良く、元気が出てきたような気がします。本人も楽になったようで、時々自分からすりおろして飲んでいるときがあります。本当にありがとうございます。(埼玉県AMさま)
○ガンの手術をして5ヶ月目、“雪の下にんじん” を頂き、1 ヶ月たちました。調子は悪くないのですが、体全体の力がなく、体力のなさが気になっていましたが、この“雪の下にんじん”
を頂き始めて1 週間程しましたら、朝、体は暖かく、よく眠れるようにもなり、体の感覚がよみがえってくるのが強く感じるようになりました。
この1 ヶ月は地方と自宅を往復する日が続いていますが、大した疲れもなく、驚いています。友人も「ずい分元気になったね!」と驚いています。血液検査の結果も元に戻っております。有難うございます。(神奈川県HYさま)
○ 痛み対策人参・・・不思議です。届いた箱を持った時、思っていた以上に重さを感じ、こんなに重い人参なんだと・・・・。そうしたら食してもいないのに、ヒザの痛さが軽減したのです。ありがとうございました。大切に食します。(東京都STさま)
赤かぶ漬について・・・
先日、無事商品が届きました。予想以上に旨かったです。以前から飛騨の赤カブの大ファンです。 漬け物と言えば、飛騨の赤カブ、塩熟成された方の京のしば漬、サッカリン等を使わない、自然の旨味の沢庵と決めつけているのですが、どちらもナカナカ自分の好みの味に出会えないのが現状です。
そこでたまたま御社の HPを見つけ、早速注文致しました。いやいや、予想以上に絶品ですね!以前購入していたおばちゃんのお店の赤カブも美味しかったのですが、御社のは別格。いつものおばちゃんのお店だって、普段着の赤カブとしては充分なのですが、御社の漬け物は、これが伝統の赤カブだと主張しているかの如く、薫り高く、また熟成した味わいが素晴らしいですね。
そして、この赤カブが届いてからは、毎日朝の食卓が楽しみです。舌に残る独特の味わいがクセになっています。維持するのは大変だと思いますが、伝統の旨味をこれからも大事に残していただければと思います。購入した品が切れたら、また注文させていただこうと思っています。ミステリー小説「赤カブ検事」じゃありませんが、ほぼ中毒かも知れません。(笑)
○可愛いミニカボチャは、お彼岸のお供えに最適でした。また、その後に蒸して食べましたら、とても甘くて美味しかったのにびっくりしました。小さいのに二度楽しませていただきました。(神戸 MMさま
)
○箱を開けたとたんに、楽しい空気が流れてきました。よしまさんの野菜を食べると、やっぱりホッとします。ピーマンの苦手な娘も、よしまさんのなら、もぐもぐ食べるんですよ!野菜炒めにしたときに、いつもなら箸でよけて食べないのに、よしまさんのなら一つ一つとりながら食べていましたョ!!!やっぱりよしまさんのお野菜はスゴイです。(沖縄 MKさま)
○いつも新鮮な野菜を有難うございます。トマトが緑の部分が大きくてまだ若いのかな?と思いましたが、食べてみてビックリ!!あんなに甘いトマトは初めてです。同梱のお花もさっそくテーブルに飾りました(愛知県NIさま)
○枝豆美味しかったです。味が濃くギュっとうま味が詰まっていて「豆」って感じでした。それとトマトもまだまだ甘い。夏より甘い感じがします。(大阪府 MTさま)
○箱を開けたら、高山の澄み渡った空気が広がったようです。
子供つきのトウモロコシや、様々な大きさの枝豆、どれも喜びいっぱいのお野菜ですね。お米、甘味があって、美味しいです。(愛知県TKさま)
○お野菜さんが届いただけで、足が温かくなります。よしまさんのお野菜さんたちは、体調の悪い私にとって、まるでお薬です。有難く大切に頂いています。(千葉県MYさま)
○バラェティに富んだ野菜を見て、ワクワクしました。どれも美味しく頂いています。ゴボウの天ぷらは美味でした。家族と友達と共に愉しみました。ありがとうございました。(東京都STさま)
○今朝、メロン初めて頂きました。とろ〜んと甘く、果肉が熟し美味しかった!早く頂きたくて待ちどうしい毎日でしたが今朝はジャストの食べごろでした。トウモロコシ、枝豆は今年最高の美味しさでした。幸せで〜す。
○ミニ大根、本当にありがとうございます。1本1本大切に頂きます。おかげさまで本当に体調が良くなってきています。胃や喉だけではなく、体も楽になってきています。体力もついてきています。(東京都NMさま)
○今年最後の野菜セットを頂きました。ゴボウさん、分けて下さって、有難うございます。あの味を楽しめるのかと思うと幸せです。またあの味といえば・・・来年も、また色々なお野菜に出会えることを、今からすでに楽しみにしています。ツルムラサキもほんとうに色々使い勝手があって楽しませて頂きました。(東京都STさま)
○無添加漬物・・・
赤カブのお漬物を切って、お茶漬けでいただきました。「これこれ!この味!!」と言いながら食べていましたら、父が「どれどれ!?」と横から手を出してきました。
どんなものでも「フン、大したことないな!!」というのがいつもの事なのですが、「うん?!これはおいしいな!!」といって、結局1袋の半分を食べてしまいました。我が家では、ほんとに漬物が大好きです。キムチなど賞味期限が過ぎて古漬けになっても絶対捨てることなく、スープにしたりチャーハンにしたりするくらい大好きです。
正直言ってインターネットで注文すること自体とても不安でした。しかしこうして手元に届いた漬け物の期待通りの味に感激しています。あまりにも感激したものですから、興奮してたくさんおしゃべりをしてしまいました。これからも日本の伝統の味を守ってください。それを買わせていただくことで伝統の味を守るお手伝いができたらうれしいです。(東京都 NYさま)
○無添加漬物・・・
先日、はじめて注文させていただきました。父をはじめ母、妹と発酵した漬物が好きで、家で漬けている糠漬も特に古漬けが好き。赤かぶ漬が売っていると、裏の表示をみては、甘酢だったりアミノ酸が入ってたりで、随分前から「うまい赤かぶが食べたい」と、たまに言っていました。
今回、なんとなく思いつきで調べ、そちらの事を知り、お電話させていただきました。もっと早くに調べていたらと思わずにはいられませんでした。
ただ、美味しい漬物があると、それだけでご飯を食べてしまう父には、この漬物は危険!(笑)。美味しさ、値段の安さに驚きです。ほんとうに有難うございます。(東京都HTさま)
(2010.5)
今、私が心にうけとめること
・・・人と森(地球)、共に生きる道はあるのか・・・
聞いたお話ですが、ある古人の物語・・・「それは、いつの時代のことなのだろうか、昔のこと。ある一人の男が森を切り開いて畑を開墾した。その土地は、とても痩せており、思うように農産物ができない。ようやく育った、わずかながらの野菜ですら、森の動物たちによって荒らされ、食べられていく。その男は、それでもあきらめず、作物づくりに励むが、収穫が得られない。あるとき、その男は、人と森の動物たちと対立するのではなく、自然のなかで共に生きる道を見出す境地に立ったそうな。」・・・その後の続きの話を、私はまだ知ることがないのですが・・・。
今年、トウガンを500本植えました(収穫ができれば、1500個!)。
ところが、初期よりトウガンの葉を、カモシカが食べ始め、実りつけ始めた小さな実をイノシシが食べつくし、今年のトウガンは1個も収穫がありません。
多くの農家は獣害対策に躍起になって、電気柵や高い砦を田畑に設置して、動物たちの侵入に対抗しようとしています。
ある方から頂いた言葉・・・「人は自然といまだに共調していない。人は自然の恩恵を受けていても、自然と共には生きていないことを知らなければならない・・・・自然は昔も今も変わることなく時の流れを過している。人が自分だけの利便性だけで山を崩し、動物たちと暮らせないのであれば、人は地球とは暮らせなくなる・・・・」
地球クライシス(危機)・・・
何かが大きく歪んでいる気がします。
人が入らない山深い森の自然林ですら、この夏だけで大木が大量に枯れている光景を見ます。
森が豊かさを失い、そこに生きてきた動物たちの動きが異常化している気がします。とまることのない、人の乱開発・・・。それでも、大自然は、人が食する作物を産み、心地よい風(空気)をもたらし、あらゆることで、私たち人へ豊かな恵みを与え続けています。
・・・しかし自然界はこのままでは崩壊してしまいそうです。人は本来、自然の中の一部として生きている。人は自然界の気持ち(心)をどのように感じ、人は、どのような心でこれから自然界と向き合うことができるのか
・・・「心を使うことで事は動かせる。やれることを今、やることで、人は地球と共に生きれる」・・・私は今、自らへ問いかけています。人と森(地球)、共に生きる道はあるのか・・・・
お客様からの声
○今日、お野菜が届いて早速、感謝しつつ頂きました。トマトときゅうりを思いっきり食べて、とーっても幸せです。(トマト、きゅうり欠乏症状態でしたので・・笑)。 10年間位有機野菜を食べていましたが、農薬など身体に負担のかからないものを、という感じで野菜の味を楽しむ事はありませんでした。(実際、特別に美味しいとも思いませんでしたし)でも無肥料野菜は美味しい!と感激するだけでなく、身体が欲するのが解るのです。
野菜にこんな力があるとは、凄いと思いました。よしまさんのお野菜は新鮮でみずみずしくて本当に美味しいです!!野菜を作るのは自然が相手なので、日々大変だと思いますが、これからも頑張られて下さい。そして、貴重なお野菜を分けていただいて本当に有難うございました。心から感謝致します。(奈良県SFさま)
○昨日からユリの優雅な香に酔いしれています。大輪の黄色のユリがアット言う間に咲いてしまって慌てて氷を沢山入れました。今晩、ピンクと白の蕾が咲き始めて…息を呑みました。
いつも、いつも素晴らしいお花ありがとうございます。心からお礼申し上げます。そしてお手紙にもありましたが野菜の種類が多く「嬉しい、楽しい、ありがたい」です。どれもこれも味わい深い美味しいものばかりで大満足ですが、今晩は「ツルムラサキの酢の物」絶品でした。悪天候の中、よしまさんと頑張っている野菜さんに感謝します。(東京都MMさま)
○野菜セットが先日届きました。ピーマン、ナスがとっても元気な感じで、いいかおりがしていてとっても感動しました。今日、ピーマンやトマト、ししとうなどを刻みながら夕食の支度をしていたら、体にすごいエネルギーがきて、心臓までかゆくなってきました。(北海道NYさま)
(2009.9)
1日休むと、野菜の表情がガラリと変わるんです。
仕事に追われて、忙しすぎると、身体も心もヘトヘトに疲れきってしまいます。
そして無意識のうちに、何事も効率わるくなってしまっているんですね。そんなときこそ、思い切って1日休みをとって、畑から離れて遠くへ遊びに行くと・・・。不思議ですね。翌朝、「どうだったかなぁ、昨日は暑かったけど、野菜たちは大丈夫だったかなぁ?」と、畑へ言ってみると、ビックリするほど成長して活き活きしているんです。
リラックス(息抜き)するって、大切ですね。野菜たちは、主人(私)の心をよ〜く知っているようです。私が1日いないと、こわい主人の監視がなくなったからなのか、野菜たちまでリラックスできるのかなぁ?。
いや、そうではなくて、私が心も身体も健康で楽しくいられることが野菜たちにとっての願いで、「私が1日休むことで野菜たちにご迷惑をおかけするのでは?」という私の気持ちとは逆に、「どうぞ、楽しく遊んできてくださいね。私たちは大丈夫よ」、と、野菜たちが励まして、サポートしてくれているように感じます。愛しの野菜さまさまです。
お客様の声
○本日で5日間くらいですが、胸の違和感がとても軽くなりました。朝の体調もとても良くなり、本当に助かっております。(東京都Yさま)
○最近、全然、動悸がしなくなり、息をするのが楽になりました(三重県Mさま)
○少しまえから心臓が痛い状態だったのですが、1週間ほどで随分良くなり、 2週間程で痛さがなくなりました(兵庫県Fさま)
○毎日美味しく頂いています。朝、起きるのが少し楽になってきました。ありがとうございました(北海道 Nさま)
○今、身体で一番重かった部分がすごく楽になったような感じがします。(神奈川県Sさま)
○フルーツジュースのような甘さには驚きです。(神奈川県 Sさま)
○ 先ほど人参を頂きました。体が温かくなり、元気になりました。速効性すごいです。(埼玉県Sさま)
○ 妻は心臓の未病からくる耳鳴りを患っているのですが、与嶋さんの人参さんを頂くと、それがやむそうです。とてもありがたい限りです。(北海道Hさま)
○アクが無くて美味しい小豆でびっくり致しております。(新潟県Oさま)
○よしまさんのお漬物がきれると、身体がさみしいよーと言ってきます。よけいなものは入っていなくて大切なものの入っている味。ありがとうございます。(沖縄県Mさま)
○お花・・・開けたときもすごく嬉しかったです。ぽーっと優しさをいただけました(三重県Oさま)
○人参ときれいな花が届きました。嬉しいサプライズ、驚きましたが、家の中が明るく華やかになりました (Iさま)
○ 送って頂いたその日から人参、ゴボウを炊き込みご飯にして毎日食べ続けましたら、ぐっぐっと体力がついてきて、現在はすっかり力がついて元気になれました。(神奈川県Kさま)
●「本日無事商品が届きました。白菜ありがとうございました!! ダンボールの底に、芋虫くんがいました。京都まではるばる旅行ですね(笑)いいなぁ〜 外に逃がしてあげました。京都も今年は暖かい冬でした。やはり温暖化がどんどん進んでいるのでしょうね・・・。よしま農園の皆様もお体にはお気をつけてお過ごしください。(京都府 NE様)」
●「よしま農園の皆さんはいかがお過ごしですか。最後に送っていただいた人参は、まだ美味しくいただけています。本当に長持ちで驚きです。冬はスーパーの減農薬のお野菜を頂いていますが、よしまさんのお野菜に比べると味も鮮度も長持ち度も違います。また、よしまさんの美味しいお野菜を口にできる季節を楽しみに待っております!!(兵庫県 MMさま)」
●人参をジュースにして飲んでから、2日目の朝から左側の肩こりがとれていて、ヒョエーッ!という感じです。寝る時、左側を下にしても心臓が苦しくなく、楽になりました。(新潟県 SAさま)
(2009.6)
奇跡の にんじん
おぉぉおお! 引っこ抜いた人参がデカイ!。
本当にビックリしました。はかりにかけてみると1本で、450gもあるじゃないですか。
ちいさな大根くらいの大きさです。こんなビック人参は稀ですが、普通の人参らしい大きさのものがザックザック収穫できています。普通の人参って、何でしょうか???。
よしま農園の畑は、山をきりひらいてできた開墾畑です。広い畑には赤土が広がり、最初の数年は雑草すら生え育たないほどに極めて痩せており、まるでレンガを砕いたようなゴロゴロの土でした。
肥沃な土壌のもとで作物を栽培することはある意味たやすい事かもしれません。しかしその逆である痩せ地での農業には、大変な困難が伴いました。
土壌を肥沃にする方法は色々あります。大量の堆肥や肥料を入れることは最も代表的な方法のひとつです。しかし、私はその当時から何も入れない無肥料無農薬無堆肥栽培に志していたことから、その方法を選ぶ事はありませんでした。
そして、その畑に8年前(2000年)、人参を播きました。しかし、収穫の季節になっても全く成長しないままで、まるで鉛筆のような細さの人参ばかりでした。
そのような人参を掘りあげていくと、100本のうち1本くらいは人参らしい大きさのものが出てきたでしょうか。
爽快な秋晴れのなか、その1/100の人参を手にして「この1本がいずれ、この畑全体に広がっていくんだ。必ずそうなる」と、夢見たことを私はしっかり覚えています。
1%の可能性を手にして、それからチャレンジは毎年続きました。キャベツの苗を植え付けても全く成長せずに収穫皆無だったこと・・・芽吹いた野菜の新芽が途中で全て枯れて消えてしまったこと・・・、育たなくても何度も播き続けた人参・・・。この大地でいろいろなことを経験してきました。
それでも今、私はこの畑で農業ができることが嬉しく、この畑が大好きです。作物の成長がどうであれ(順調にいかなくても)、この畑と、そこから生れてくる野菜たちを、私は心より愛しています。
普通の農家であれば、人参の種を播けば人参が収穫できることが当たり前です。そして少しの規格外品を除いて、普通の人参の大きさであることが当たり前です。今年、よしま農園が収穫する人参は普通の人参です。しかし、この普通であることが、私と、この畑にとっては感動で、奇跡です。今年は、頻繁に人参畑行き、「すごく嬉しいなぁ。なんて綺麗な人参畑なんだろう」と、畑の真ん中に座って眺めるのが、とても心地よい時間でした。
毎年、この季節がくると 必ず思い出すこと
今から5年前(2003年4月)のこと。独自にはじめた無肥料(無堆肥)無農薬栽培に行き詰っていたときに、青森県で無肥料無農薬でリンゴ栽培を確立していた木村秋則さんとの出会いがありました。木村さんは近年、超有名人になり、知っている方も多いのではないでしょうか。
不可能といわれた無農薬リンゴを確立されるまでには長い年月の苦労があったそうです。昔は慣行栽培(農薬・肥料を使用)を行っていましたが、農作業を共にしていたご家族が極度の農薬中毒にかかったことから無農薬栽培への転換を決意したそうです。
それからは波乱万丈で、7年間は全くリンゴが実らず、春に咲くはずのリンゴの花も咲かず、夏に葉が全部落ちてしまうほどで、次々と枯れていくリンゴの木の光景が続いたそうです。
経済的にも窮地に追い込まれ、周囲からは変人扱いされながらも無農薬栽培への熱意を絶やすことなく、強い信念と深い愛をもって続けた9年目の春・・・
あきらめかけていたときに、隣の畑の人が「おい!木村、リンゴの花が咲いているぞ!」と言って家に駆け込んできたそうです。まさかと思いリンゴ畑に行ってみると、一面にリンゴの白い花が一斉に咲いていたそうです。「本当だろうか!。とめどもなく涙があふれた。その花を見ようと思っても、そのときは、自分の涙で目の前が見れなかったんです」と、その当時のことを木村さんは話されました。
その後、リンゴは毎年赤い実をつけているそうです。 深い観察。試行錯誤のチャレンジ。うまくいかないことの連続。もうやめようかと思いつめた夜のこと、途方に暮れ深い森の中をひとり歩き周ったときに、森のフワフワの土壌を手に取り、土づくりのヒントを得たそうです。
木村さんは、リンゴ栽培はもちろんのこと、お米・野菜の栽培にも熟知しています。その貴重なお知恵を学ばせて頂こうということで、木村さんを飛騨高山へお招きし、地元の農家仲間をあつめて、現地指導を頂きました。
そのとき学んだことのなかで・・・「無肥料で野菜が育つには野菜の近くに大豆を育てると良い。大豆は空中の窒素を土壌に固定する微生物(窒素固定菌・根粒菌)がいるから、その窒素が肥料になり、野菜も育つ(木村さんの理論と技術)」。
学んだ技術を実践に移す年 〜 理論どおりには ならなかった けど・・・
〜 「これはすごいぞ! これなら無肥料で野菜が育つかもしれない」・・・
この年、私はこの大豆と野菜の混植の技術を取り入れ、畑のあちこちに大豆の種を播きました。
しかし・・・理論と現実はこれほどまで違うのだろうか・・・・無肥料の畑に植え付けた野菜の苗は、ほとんど成長することがありませんでした。
一方、脇役のはずの大豆は生育旺盛で、どんどん大きくなり、ついには主役の野菜の成長を追い越し、大豆は大きな株になったのでした。畑の見学に来た農家の人が「ここは大豆畑ですね」と、勘違いしたほどでした。
夏に予定していたピーマンやナスの収穫は皆無のなか、秋がきて、「今年、この畑はなにも収穫ができなかったなぁ〜」と、畑にしゃがみこみ嘆きました。
土の上に座りこむと、ふだんは見ない大豆たちの目線になります。すると、それまでは気づかなかった大豆の生い茂る葉の下に大粒の枝豆がびっしりついていることに気づきました。まさか、と思い、すぐに大豆の株を引っこ抜き、枝豆にして茹でて食べました・・・「うまい!」 。
脇役としか思っていなかった大豆から枝豆を収穫しようとは、全く思っていなかったので、驚きの発見でした。「枝豆として収穫したらきっと喜んで買っていただけるかもしれない」と思い、早速、そのときのお取引先のお店などへ案内したところ「季節はずれだけど、試しにお店にだしてみようか」という快い返事を頂き、枝豆をはじめて出荷することができました。すると、これが大好評!。
次々と色々なお取引業者様、個人のお客様からご注文を頂きました。枝豆さんも、一転して主役になった心意気なのか、次から次へと、たわわに実って私を応援してくれているようでした。夕方刈り取ってきた枝豆を、毎晩夜なべをして、枝豆のさや取りと袋詰めの作業が続きました。そして、この年に収穫された枝豆は、なんと400kg。夏野菜がほとんど収穫できなかったことを穴埋めしてくれるかのように、思いがけない収入を頂きました。「木村さんのおかげで、大きなプレゼントを頂いたようなものだなぁ」と言って、家族皆で喜びあいました。そして次の年からは枝豆さんは脇役ではなく、はじめから主役として畑で育つ事になりました。
飛騨高山伝承青大豆・枝豆 〜通称・鳩殺し豆?
この大豆は飛騨高山に100年以上も続く歴史のある在来種です。
その名も「はところし」。なぜそんな恐ろしい名前なのでしょうか。
名前の由来は定かではありませんが、2つの言い伝えがあります。ひとつめの説は、一般の大豆に比べると大粒(丹波の黒大豆ほどの大きさ)で実がしっかりしているため、鳩が食べると喉に詰まらせてしまうから「はところし」。次の説は、あまりにも美味しいため、鳩が食べすぎてしまう「はところし」。
いづれにしても、ちょっと他とは違う珍しいお豆で、美味ということでしょうか。 この大豆は、枝豆はもちろんのこと、青大豆としても大好評を頂いております。青大豆の販売は12月からです。ここでひとつ 食べ方について・・・枝豆といえばビールでしょうか? この枝豆には、ほうじ茶がとても良く合います。ビールは刺激が強いので、せっかくの枝豆の風味を消してしまいます。逆にほうじ茶とは絶妙に相性が良く、お互いに風味が高まり、とても美味満点です。
よしま農園で野菜セットが始まった歴史
私が農業をはじめた当初、農業経営を確立する上で思い描いたのは、こだわりの無農薬野菜を沢山収穫し、大きな物流で販売していくことでした。その方針で、当初からトマト農家として栽培面積を増やしていきました。
最初の数年は年々収穫量も増え、取引先も増えていきました。しかし・・・・、その後の年から急にトマトの収穫量が激減しはじめ、当初の夢とは裏腹に、計画通りに進まないことに行き詰ってしまいました。
そんなあるときに一本の電話がありました。「よしま農園さんのトマトがとっても美味しいから、ほかの野菜も食べてみたいので、今とれる野菜を何でもいいからセットにして送って頂けませんか?家族で食べる分ですから、量は少なくても種類が多いと嬉しいなぁ」・・・・。
そのとき農園の販売用野菜はトマトだけだったのですが、お客様のご要望になんとかお応えしようと、自家用野菜の小さな畑から色々な野菜を収穫しセットにして宅配便で送りました。野菜セットの第一号便です。
そうしたところ、お客さんからとても喜んで頂けました。それまでは、お店への卸販売が中心だったため、直売で聞くことができるお客様からの直接の要望や感想をいただけたことは私にとってとても新鮮で、とても感激し、嬉しく、とても励みになりました。それから年々トマトの収穫量は減るばかりで、私の農業は、まるでどん底をさらに掘り進めているような感じでしたが、逆に多品目野菜の需要が高まってきたことから色々な野菜づくりにチャレンジし始めました。
私の農業形態も随分変わってきました。多品目野菜の栽培が順調に進んだかといえば、そうではなく、どれほど種を播いても全滅することや、芽吹いた野菜が十分に成長しないために収穫に至らないことなど、状況は様々ですが、そのような中でも収穫できる野菜が少しでもある様子を見ると、野菜たちは畑全体でお互いに助け合っているんだなぁ、という感じがしました(私も助けられている)。
「○○さんがキャベツが食べたいって言っていたなぁ。○○さんは夏にも葉物があったほうが良いっていってたけど、暑い時期は虫が多くて難しいけど、なんとかチャレンジして種を播いてみようか。○○さん、キュウリを絶賛して頂けたなぁ。また喜んで頂けると嬉しいから、もう少し面積を増やしてみようかなぁ・・・・・」などなど、お客様からいただくご要望にできるだけお応えしたく、喜んで頂きたいという思いで取り組んでいます。
また、農業規模が縮小したかといえば、そうではなく、毎年こころざしを高くもち、トマト農家として数千本のトマトの栽培にチャレンジを続けています。私が毎年、安心してチャレンジできるのは、取引先のお店や、業者の方々が「トマトが沢山とれたら、待ってるからいつでも声かけてね。楽しみにしているから」と、いつも見守って、心をかけて頂いているからです。有難うございます。
このように、私は皆様の支えのもとに農業をさせていただいています。皆様が野菜を食べていただくことは直接畑と結びついており、それは、同時に皆様と一緒になって畑を耕しているような感じです。畑は年々豊かになっています。しかしながら、あまりにも不安定で収穫予想がつかないため(例えば、○○が、いつ、どのくらい収穫できるか)、ご注文を頂いても必ずお届けできるというお約束ができないことで、大変にご迷惑をおかけすることが多いのですが、それでも待っていてくださり、御理解を頂き、よしま農園の野菜をお求め頂いておりますことに農園関係者一同(私、家族、畑、野菜たち)より、心より感謝申し上げます。
また今年も、急にしおれ枯れはじめたトマトたち
今年は6年ぶりにまとまった収穫量があるかもしれない! とても嬉しく、心高揚しました・・・・そう思っていた矢先の出来事です。7月下旬にトマト(1700本)の収穫が本格的にはじまったときのこと。3日間の曇天が続いた後の晴天の日・・・・。
ハッとするほどに、あっというまに半分ほどのトマトが一斉にしおれ枯れはじめました。
事態はそれ以上に進行し、どんどん枯れは拡大しつつありました。「あっ、今年もか!」。具体的には「褐色根腐れ」という病気で、水を与えれば根が腐るため枯れてしまい、逆に真夏の水不足のときに水を与えなくては枯れてしまという、どうすることもできない、手だてがないまま見守るしかない状況です。
しおれてゆくトマトたち。その姿を前にして久しぶりにトマトの姿をスケッチしてみたくなりました。7月から8月は農作業がとても忙しく、しばらく野菜の姿をスケッチする時間がとれていませんでした。
いや違う・・・。スケッチすると言っても、いつも数分程度の短時間の落書きだから時間がないというのはウソなはずです。スケッチには、まず心のゆとりが必要です。次にスケッチしたくなるようなものが見つからないと心が動きません。それには醜いものや汚いと思うようなものは書こうとは思わず、やはり美しいと感じるものが描く対象となるのではないかと思いますが・・・。
じーっとトマトを見つめていると、とても愛らしく、かわいいです。「トマトは何を思っているんだろう?」毎年、枯れる姿を前にすると、いつも問いかけています。スケッチという、ひとときのゆとりの時間にトマトを愛でていると、ふと私の心には、残念に思う気持ちや、期待要求(「もっと頑張れ!」という要求)する気持ちが薄らいでいきました。あきらめではなく、なにか不思議なほどに安らいでいる私と、トマトの時間でした。「トマトよ、ありがとう・・・・」。
それからも真夏の猛暑のなか、昼中はまるで瀕死の状態のトマトたちですが、夕暮れから早朝にかけては不思議なくらい生気を取り戻し、「ほらっ、まだ僕たち大丈夫だよ。ついている青い実は必ず赤くするからね」と言ってくれているかのように、ほほ笑んでくれている感じがします。そこにはトマトのなかにある根源的な力強い生命力を感じます。きっと赤く熟したトマトには、ギュっと詰まった生命力があるように思います。トマトを食べていただくことで、そのトマトたちのほほ笑みを感じて頂けたとしたら、私としてはとても嬉しいことです。・・・・そして8月18日まで、木に残ったトマトの青い実は小さいながらも赤く熟した後、8割以上のトマトが生育半ば完全に枯れていきました。普通では10月下旬まで生きるトマトですが、十分に力を果たしてくれました・・・・「ありがとう。よく実ってくれたね。来年、また会おうね。トマトさん」。これから野菜セットに入っているトマトは、わずかに残っているトマトです。
(2008.8)
北海道、伊藤秀幸さん(無肥料自然栽培・FF農法)農場見学
波乱万丈!?「いったい、どうしたらいいんだ〜」 私は、野菜づくりに思うような結果がでないことがずっと、何年も続いていました。このまま続けても先が見えてこない。そう悩んでいるところに、ある方から「北海道へ行きませんか!」と、お誘いを頂きました。
北海道の女満別の近くに伊藤秀幸さん(通称:ひでさん)の農場があります。無肥料栽培9年のベテラン農家さんです。きっと私の求める答えがあるはず! とってもウキウキワクワクしながら北海道へ向かいました。
広大な畑は伊藤さんそのもの
すごいなぁ〜、伊藤さんの畑は広いぞ! 畑の広大な規模に圧倒されました。1枚の畑が数ヘクタール!。
私の住む地域では広い畑でも 枚数反という程度ですから伊藤さんの畑は規模でいえば10倍以上です。伊藤さんの畑は奥行き数百メートル。畑の先端が見えません。人参畑、たまねぎ畑は、雑草をひたすら手作業で除草するというから驚きます。
伊藤さんのご自宅を囲むハウスだけでも 1件の農家としてたるだけの規模がありながら、さらに露地畑で約20ヘクタールです。農家の視点からみれば、それだけの規模になるとどこかが手薄になり、粗雑になってしまうのではないかと思いますが、感激したのは伊藤さんの農場はどこの畑に行っても丁寧に管理が行き届いていました。作物たちも整然と育ち、ムラがない。伊藤さんの姿をそのまま反映しているように感じました。
広大な畑は、伊藤さんの大きな心と重なりました。大きな心は些細なことにとらわれることなく(わずらわしさをもたない)、おおらかで、なおかつ深く落ち着くものを感じます。そして、その大きな心の懐をもちながらも、小さなことも大切にしています。整然と並んだ野菜たちはとても貴賓があるように感じますが、どこにも堅苦しさがなく、とてもリラックスしています。愉快で、とても楽しんでいるような作物たちの印象を受けました。
伊藤さんと私の会話のなかでとても面白かったことがありました。(私)「野菜が急に全滅して全く収穫がなかったりしたときって、どうしても落ち込むし、どうしようと思って、辛いですが、伊藤さんってどうですか?」・・・(伊藤さん)「全然、そう思わないんだよなぁ〜アハハハ!! どうにかなるんじゃないかなぁ〜 あまり考えなくていいんだよなぁ〜」・・・、そう返事を頂いたら、あっけにとられて、さすが伊藤さん!その心の広さスゴイです!
伊藤さんと話していると、とても心が楽になりました。
北海道の開拓者魂
女満別空港から北見、そして伊藤さんの住む訓子府、農場周辺の環境の景色を眺めていると、ひとつ発見がありました。この景色はどこかに似ているなぁ?。
10年前、私は大学時代の友人(留学生)を尋ねてブラジルまで行ったことがありました。ブラジルには北海道以上の広大な大地が広がっています。
なだらかな丘陵を拓いた農場に木立が並び、農家の家が転々とある風景が北海道と南米ではそっくりなのです(特に日系移民が多いサンパウロ州とパラナ州)。そういえば今年ブラジルでは日系移民開拓100周年の年だそうです。
農業環境と景色がそっくりなことにあわせて、開拓者としての活力と陽気な踊るような明るさはブラジルにも北海道の人たちにも同じように強く感じました。
ラテン語系の南米を表現すれば、まさしくカーニバルのサンバの踊りのようなイメージといえば分かるでしょうか。 TERRA SAMBA(訳:大地のサンバ!)」でした。私は、その開拓者たちの心意気と、大地と人が躍動するような力と、そこに拓かれた人々の暮らしの息づきや、大地の風景が大好きです。その空気を北海道で感じることができ、とても嬉しかったです。
●騒がしい野菜たち
6月といえば、畑仕事はとても忙しい季節です。
この時期に3日も休みをとって北海道へ行く事になるとは、まるで夢のようでした。北海道へ行く前は、まるで息をつく間もないほどに作業に追われて、全力疾走しているかのようでした。
私がゆとりなくカリカリしているから、野菜たちもどこかしら緊張して表情が堅苦しそうでした。けれども今回、私自身北海道へ行き、心も身体もリフレッシュしたからでしょうか。野菜たちもとても嬉しそうで楽しそうな表情に変わっていました。心って、大切ですね。
伊藤さんにお会いしてから、私はとても晴れ晴れした気持ちになりました。それは具体的な農業の技術や理論を学んだのではなく、野菜に対する接し方や心のもちかたを、伊藤さんを通じて感じる事ができたことがとても大きな収穫でした。
野菜畑に行くと、とても騒がしい気がします。今の季節は収穫を前に、野菜がどんどんと成長します。それにあわせて野菜ごとにお世話が必要です。朝、畑に出向けば最初に「おはよう。元気だったか?今日は、草取りするからね」「おまえ(作物)の、花って、綺麗だな!見せてくれてありがとう。」・・・帰るときは、「今日一日、ありがとう。おかげさまで草取りできたから、ちょっとは気持ちよく成長できるかな?、また明日くるから、また楽しみにしていてくれよ」・・・・
逆にハッとするときがあります「あっ、野菜たちが、ざわめいてる!!」 畑に出向くと、野菜たちが「おーい!こっちの草とってくれよ!」「私のほうも見てよ」「このツルが伸びてきたから、私(キュウリ)の側に支柱を立ててほしいなぁ〜」「お〜い、助けてくれよ。早くここに手をかけてくれないと、うまく伸びられないよ。」・・・・などなど、とてもにぎやかな気がします。
(2008.8)
すっかり肩を落としてしまったトマトさん
ある朝、トマトの苗が育っているハウスに入るとビックリ! 苗が今までみたことのないような姿で萎れているではありませんか。暑かったの?、水が欲しかったの?
そうじゃない・・・ 。あまりにも変わった姿に驚いてしまい、何か自分の判断がまずかったのかのか・・・同じハウスにあるナスやピーマンは朝日をあびて見事なほどきれいだったので、対照的なトマトの変わり様に私ではその原因がまったく分かりませんでした。そこで、いったいどうなっているのか妻に見てもらいました。
「まるで今の、あなたをみているようだ・・・すっかり肩を落としてしまって、元気がない」。
言われてみると、まさしくその通り。じつは、その数日前から私自身、とても憂鬱で落胆してしまうことが続いていたため、私の後姿はすっかり肩を落として元気がなかったのでした。
トマトは、私の姿にそっくりだったそうです。 いや〜、まいっちゃうなぁ。トマトが自分の心を写しちゃった。じつは、無肥料栽培をはじめてから、このようなことが時々おきるようになりました。そして野菜たちは、農家の日々の健康をサポートしてくれています。
特殊な話のように思われるかもしれませんが、例えば農家が体調を崩しそうになるようなとき、ある作物の一部が急に枯れ始めるようなことがおきます。そのようなときは逆に農家がみるみるうちに元気に回復してきます。一部の作物が代表して農家を助けるために身代わってくれるそうです。
このように作物は農家(作物にとっての主人)をほんとうに応援しているようです。なぜならば、良い作物ができるには、農家が心身共に健康でいることが作物たちにとっても、とても大切なことだからです。その後、私自身はトマトたちからの絶大な励ましによって、元気になることができました。もちろん、それにあわせてトマトの苗も元気を取り戻したようです。ホッと、安心しました。きっと一番安心したのはトマトたちだったかもしれませんが・・・。収穫は7月下旬予定です。しばらくお待ちください。
まるでクラッシック音楽が流れているかのような農園を・・・
もともと私は花が好きなので、農園には、できるだけ花を咲かせるように、周りに色々な季節折々の花々を植えています。植物にクラッシック音楽を聞かせると良い効果があると提言した人がいます。確かにそうだと思います。人が聞いていても気持ちよければ、自然に空間も同調し、植物もリラックスできると思います。
野菜たちに声をかけて、愛情をもって育てると、どんな肥料よりも、一番の効果があるといわれる場合もあります。それも本当のことだと思います。広い畑に、スピーカーを置いて、音楽を流すのが良いのかもしれませんが、なかなかそういうわけにもいきません。それでひらめいたのが、花の栽培でした。畑の周りに沢山の花たちを咲かせることです。音楽が音での環境改善ならば、きっと、花は視覚に働きかける環境改善です。
私たちは、花の美しさを感じるとき、それはその色合いであったり形であったり、視覚で感じます。また、時には香りのときもあるかもしれません。そして、花にはそれ以上に無音の「美」の波調をあたり一面に放っているような気がすることがあります。 例えば、部屋のなかに一輪の花が飾ってあるだけで、その場の空気が変わるようなことを感じたことはないでしょうか。美と、癒しと、安らぎの存在感が花にはあるような気がします。
野菜たちの周りに花々が咲いている環境であれば、きっとそれは、まるでクラッシック音楽が流れているかのような空間がそこには広がっているような・・・・・・もちろん、そこで畑仕事をする私自身も、なんだか心が癒され、気持ちよくなりますね。
●ゴボウが土をつくる。ゴボウで得た収穫は?
越冬ゴボウの収穫のとき・・・。「ミニゴボウは掘るのは楽だけど、普通のゴボウのような形じゃないから、普通のお店には出せないなぁ、収穫しても販売は難しいかなぁ」と、悶々としながら作業をしていました。
そこで妻がひょっこりと手伝いに来て言いました。「あなた、なにそんな暗い顔して掘っているの? そんな目先の収穫よりも、これ見てよ。土がフカフカで暖かい! こんなに土が良くなってる。ゴボウってすごいね。
ここで次に育つ野菜が楽しみ!」。 なるほど。よく見るとゴボウからは細根が四方八方にビッシリ土に伸びていて、ゴボウが育った場所の土は確かにフカフカで暖かい感じがします。
そして力強く真下に伸びた太い根っこは畑の深いところの岩盤のような土の層に至って、土を深くまで柔らかくしようとしてくれています。ゴボウがもたらしてくれた収穫は、ゴボウそのものだけではなく、そこに新たに生れた豊かな土壌だったと気づかされました。
その後、私は一転して気分が晴れて、ゴボウの1本1本に「土をよくしてくれたんだなぁ、ありがとう。すごい収穫だなぁ」と、お礼を言いながら楽しく作業をすることができました。
ゴボウの後には、トウガンを植える予定です。まるで枕のような大きなトウガンになるかなぁ?まだまだ夢枕。トウガンは今年はじめて栽培します。9月ころ収穫です。
●青の世界、山々と空、空気、水、大地は光る
畑からは標高3000mほどの日本アルプスの連山をはっきり見る事ができます。
残雪が白く輝き、その下には深い森をもつ山々が重なり合っています。高台にある畑はまるで舞台のようです。畑から天気が良い日はいつでもこの景色を望むことができます。
雪山は偉大で、大きく構える姿は、強く澄み切った純粋性を感じます。農作業の合間にボーっと、山を眺めると、心がスカーッと澄み切ってきます。あるとき気づいた事がありました。
大地が青いことを・・・。山々の雪渓の合間に現れる岩壁は近くで見れば灰色かもしれませんが、遠くから望むと青く見えてきます。遠くに見える森も緑色ではなく、青く見えます。そういえば画家・東山魁夷は自然の森の風景画を好んで描きましたが、その木々全体は青色を基調にして描かれているものが多いようです。
私にとって、大空と大地は青く一体のものとして映ってきます。空の青色を反射して大地が青く光るのか、もしくは大地が空を青くさせているのか、私には分かりませんが・・・。
そしてまた、宇宙から地球を見ると、地球は青くみえるそうです。それは地球の大部分を占める海が青く見えるからだといわれますが、もしかして陸地までも青く見ているかもしれません。地球は水の惑星といわれますが、水は大気を構成し、雲を生みだし、その雨は大地を水の潤いで満たします。
そしてその水は、大地に息づく木々やあらゆる植物の体内細部にまで脈々に流れゆきわたり、命を与えます。地球にとっての水は海や川だけにあるのではありません。
私が見た山々と空が青く光って見えたのは、地球上の全てのものに共通して流れる「水の美」がそうさせたのかもしれません。
毎日のよろこび
朝4時30分ころに畑に向かいます。
まもなく日の出の太陽が出始めます。毎朝のよろこびです。ある画家さんが「絵を描くのに、富士山はモチーフ(主題)にしないほうがいい」と言っていました。それはその対象(モチーフ)があまりにも偉大で美しいため、どれほど絵にしても実景と絵では、どうしても絵のほうが劣ってしまうからだそうです。
私が見る朝陽も絵にはできないほどの美しさがあります。その姿は毎日違い、刻々と絶え間なく移り変わる光と雲の美の世界は感動的です。日の出の太陽は空に昇っていくスピードが違います。とても早く、あっというまに随分高いところに落ち着いてしまいます。
植物はこの朝のひとときが一番のびのびとしている様子です。一日の中で最も神秘的な時間です。
「農家は朝が早くて大変な仕事ですね」と言われることがありますが、私にとってはこの朝の太陽を見るのがとても楽しみで、そのために朝早く起きたくなります。このように大自然にふれられる喜び。身体も心も元気で、農業に携わらせていただける喜びをいつも感じます。
(2008.5)
活きる命の、ざわめき や
ときどき、聞かれることがあります。「こんな広い畑のなかで、毎日、ひとりでもくもくと作業するのって、なんだか孤独で、さみしくないですか?」
なるほど。そういわれると、そういうように見えるかもしれません。確かに、私が10年ほど前に農業をはじめたときは、なんとも言えない孤独感にかられたときがあったことを思い出しました。農業以外の仕事であるときは、毎日何十人もの人と挨拶をかわし、会話し、にぎやかに過ごしていたときがありました。確かにそのときは孤独感はあまり感じるはずもなかったと思います。
しかし、その環境から一転したとき、1日に会話を交わす人は極数人になり、また、畑ではみてのとおり、一人でもくもくと、作業を続けていたのです。一時は、急な環境の変化に人恋しくなるほどだったように思います。しかし、その状況も、淡々と過ごしていくうちに、私は次第に作物のお世話に夢中になり、日々変化に富む天候と、作物の様子に心追われるようになるのでした。
当然、成長し、変わりゆく作物たちの成長は目を見張るものがあり、私から自然と、植物たちへの愛着がわき、対話のようなものが生まれてきたように感じます。朝、畑に出向けば最初に「おはよう。元気だったか?今日は、草取りするからね」「お前(作物)の、花って、綺麗だな!見せてくれてありがとう。」・・・帰るときは、「今日一日、ありがとう。おかげさまでお前たちのいうとおりに、草取りできたから、ちょっとは気持ちよく成長できるかな?、また明日くるから、また楽しみにしていてくれよ」・・・・
家庭菜園や、野菜作りを経験している方ならきっと、この感覚がわかると思います。
そして、あるとき、ふと、気付いたのです。「あっ、野菜たちが、ざわめいてる!!」
畑に出向くと、野菜たちが「おーい!こっちの草とってくれよ!」「私のほうも見てよ」「このツルが伸びてきたから、私(キュウリ)の側に支柱を立ててほしいなぁ〜」「お〜い、助けてくれよ。早くここに手をかけてくれないと、うまく伸びられないよ。」・・・・などなど、
まるで畑のあちこちから、ざわめくように、いろいろな声(想い)が伝わってくるかのようです。
それは特別なことではありません。あくまでも感覚上のことで、実際の声が聞こえるなんて不可思議なことがおきているわけでもなく、見えないものが見えるわけでもありません。私は極普通の人間ですが。
そうなったとき、それまで一人で孤独感に陥っていた心はどこかにいき、畑に出向けば、一斉に作物たちが私のほうを注目し、ざわめき始めるのですから、まるでうるさくてしょうがないほどです。それもそのはず、野菜たちの数からいえば、トマト3000人(本)?キュウリ600人?大豆何万人?ほか、多数人という感じですから。ジョークのようですが、時々は、畑から抜け出して、もっと静かなところで休みたいなぁ、と思うときさえあります。
また、私の妻が教えてくれたことがあります。それは、作物が病気になり、収穫量も激減して、私自身肩の力を落とし、心沈んでいたときに・・・「あなた、そんな暗い顔して畑にいったら、作物たちは、そんな貴方のことを感じて、もっと辛いと思うよ」。 確かにそうだと思いました。
またあるときは、私が気が強く、心一転して畑に出向いて作物たちに、「もっと頑張れ!頑張れ!」と言っていたときには、「あなたが、そんな力入っていたら、野菜さんたちは、怖がるでしょ。あなたの心が楽になってないと、野菜さんたちも楽にできないでしょ。野菜さんたちは、十分に尽くしているし、精一杯頑張っているんだから、それ以上、強くもとめないで。」・・・・・なるほど。
ある農家さんは、毎日の野菜への水遣りを、野菜たちに聞いて調整しています。それは水の量を作物に聞くと、しっかりツルや葉を動かして答えてくれるそうです。また、作業の進め方も同じように、作物たちとの対話のなかで、必要なことと、不必要なことと、判断ができて、とても効率よく、作物たちが喜ぶようなお世話が可能になっているそうです。これは特殊な例ではなく、誰でも同じように作物たちとの双方向での対話ができるようになるようです。作物たちの心の声がダイレクトに伝わってくるのです。
野菜たちの生きる姿は、尊く、色々な形で私と、私の家族を応援してくれているようです。時には私自身や家族の体調の異常を未然にキャッチして、身代わりとして働き、病気になったり、枯れたりしていることがあるようです。また、日々畑に向かう私自身の心の成長を色々な形で応援してくれているようです。特にここ数年は、そのことが著しく現れ、いつもそのことをお知らせいただくたびに、野菜たちへ心からの感謝と敬意が沸き起こります。
ある方から、いつも口癖のように、教えて頂いていることがあります。
「作物たちは、全部わかっているんです。農家の心も、体も、そして全身全霊をもって、あなたを応援し、教えてくれているんですよ。起きることは、全て最高にいいことだから、それを喜びと感謝で受け止めてしまえば、物事っていうのは、どんどんそうなっていくんです」
野菜畑からこんにちは・・・
(2005年9月、お客さんが畑見学に来られたときの話の記録)
1、どうして何も入れない栽培をするの?
私、ここをどういう栽培をしているかと詳しく説明は出来ないんですけども、もちろん農薬、化学肥料は使ってないんですね。あと、一般的に言う有機肥料も使ってないんですよ。米ぬか、油かす、牛糞、堆肥とかそういった物は全く使わないですね。土だけなんです。
以前は、そうではなかったんです。有機栽培を行っていました。それこそいろんな資材を活用しながら行っていましたが、次第に色んな個人のお客さんやお店の方から「無肥料の物ないですか?」という声が上がってきたんですね。不思議な事に…。
私、その時分からなかったんですよ。「えっ?どうして、何にもウソついていない無農薬の物なのに、どうしてそれじゃいけないの?」って思ったんです。するとお店の人や個人のお客さんがおっしゃるんですよ。「有機の物、堆肥を入れた物は、高い物もあれば安い物のあるけれど、欲しいと思えば結構買える時代になった。けれど、それが私のノドを通らなかったんですよ」と…。そういう風におっしゃる方が増えてきたんですね。
実は無農薬であっても体が受け付けない、どうしても反応してしまうという事が実際に起きているという事、それに私すごくショックを受けたんですね。「無農薬だけじゃだめなんだ」と、「本当の安全性というのはずっと違う所にあったんだ」と言う事をですね、それでまあ取り組み始めたんですけども・・・。
2、野菜たちは、私の写し鏡・・・虫のお知らせは?
全部写し鏡なんですよね、野菜達っていうのは、農家の者にとって…。
日々農作業していると、色んな事ありますよね。例えばここに大根があります。春に大根を作った時にですね、もうびっしり虫が付いてレース状になろうとしてた事があったんですね。ビックリしました。つい一週間前までは全然虫食いがない、ぴんぴんとして元気な姿だったんですけどね・・・。
アッと気づいたんですよ。何を気づいたと思いますか?実は5日間ほど他の作業が忙しくて大根畑に来てなかったんですよ。私が解釈したのは大根がわざと虫を呼んで気をひかせたんじゃないかって…。「お前、見てないからこんなになるんだぞ」って。私はそこをハッと、そういう風に捉えたんですね。
「申し訳なかった」と、「これから毎日来るからね」と・・・・。そしたらですね、その時についてた虫が翌日から全くいなくなるんですよ。よく「虫の知らせ」っていう風に言いますよね。まさしくその言葉というのは、実はそういう自然と共に太古から生きてきた人間の生き様、自然との共存共栄、そういった中から生まれてきた言葉なんじゃないかなって思いました。
本当に、面白い話があるんですよ。例えば、ピーマン畑があるんですね。トマト畑も他にあるんですけど。極端に生育が弱いところがあったりするんですね。どうしてここだけこんな小さいんだろう、こんなしょぼんとしているんだろうっていう時に、世の中にはたくさん面白い人がいまして、霊感の強いような方もいらっしゃるんですよね。その方に聞いたら、「何だか与嶋の体調がすごく最近低迷してないか?朝起きれないんじゃないか?」って・・・言われました。
あ、そうだ!実際にその頃は本当に朝起きれ無いほどに体調がおかしかったのでした。百姓で本当は朝早くから起きなければならないのに、朝起きれない、何だかだるい、体も心もどんどん沈んでいってた…。
本当かウソか、私は分からないですよ。でも事実はそうだったんですね。その方がおっしゃるには、「そのピーマンはあなたの写し鏡なんだ。あなたの事を全部受けてるんだよ」って…。特に野菜というのは、食べられる事が最高の喜びじゃないですか。人間に身を尽くす存在じゃないですか。逆に動物って言うのは切られて苦しみで、こう、人に捧げるじゃないですか。植物はもぎ取られて食べられる事で一生を全う出来るんですよね。
野菜は本来、自然の野の草々と全然違う別格の霊性を持つ物なんですね。そのものは人間に尽くす存在である以上、どんな事でも身代わりになってくれているんですよね。例えば、私がそんな状態にあるんだったら、野菜達が全部受けようとしてくれるんだ…という事を、その霊感が強い方が教えて下さって、そこで私が「そういう事もあるのか…」と受け止めました。そして、それから色々な日々の生活スタイルや、食生活を、バランスよく、リズム正しくしようという風に心がけて、一週間、二週間と経って段々体調が戻ってきました。そうしたら、ピーマンが段々成長しはじめて、平均化してくるんですよ。その時に改めて分かりました。「あっ、ウソじゃなかったんだ。そういう事ってあるんだな」。気づかされたんですね。
「虫の知らせ」について、もう一つだけ今年あった話を紹介させて頂きたいと思います。稲に、この地方ではイネミズゾウムシというのがいます。田植えをした直後からかかってくる害虫なんですが、一般的には厄介者なんですけれども、無農薬をやるにおいて一番のネックは害虫(ゾウムシ)と雑草なんですよね。ゾウムシがいて雑草が生えて、今年はもう本当に大変だなと思ったんです。ゾウムシが明らかに稲を食べてるんですよね。「うわ、これはどうする事も出来ないからどうしよう、雑草も取りきれないからどうしよう、もうお手上げだ…」という状態だったんですね。
その時、これまた農業に全然関係ない人から聞いたんですけれども、私が「ゾウムシってなんですかね?本当に悪者で困ってるんですよ」と聞いたら、その方は自然や虫について色んな事を研究していらっしゃる人だったんですが、その方から教えて頂いたのが、「実はゾウムシというのは害虫じゃないんだ」と言うんですよ。「かつては稲と共存共栄の関係にあって、稲を助けていた尊い虫だったんだよ。どうして最近害虫になったんだろうね」って、その人も首かしげてたんですね。
私はチンプンカンプンなんですよ。見るからに稲を害しているのに、何が共存共栄かと!そんなきれい事を言うもんじゃないんじゃないか!って、農家の苦労分かるか!とケンカになりそうなほどだったんですね。そして、草は生えるわ、ゾウムシは傍らで稲を食うわ、稲が弱りそうだわ、困ったな…と疲れ果てた時に、ある日突然、それまで稲についていたゾウムシが、足元の草々に一斉につき始め、草を食べ始めたんですよ。そしたら稲がどんどん元気になって、草はどんどん弱くなっていくんですよね。
私は、ある時からゾウムシを害虫だと思わなくなったんですよね。稲につかないから益虫なんです。害虫どころか雑草を食べてくれるから、本当に共存共栄なんです。ある一定の時までは稲は我が身を削ってまでゾウムシを育てて、繁殖させて、そしたらゾウムシはその恩返しでコロッと周りの草々を食べ始めて、稲を大きく育てる助っ人になってきた。すごいな!
自分が害虫だと思っていたのが実は益虫だったんだって・・・。そしたら本当に楽になってきたんですね、害虫として心配する事ない、雑草を心配する事ない、もう楽になった、お米の事での心配なくなったんですよね。
何が変わったかというと、私の心が変わっただけなんですよ。今年初めてそういう事がありました。皆さんの中にもそういう経験をされている方もいらっしゃると思うんですけれど…。去年まではですね、本当にゾウムシの被害にあってもう全然お米が取れない、そういう状況なのに今年はゾウムシが変わってくれた。それは私が「ゾウムシは実は益虫で、稲と共存共栄の関係にあるんだ」という事を、疲れ果てた時にストンと理解したからなんですね。理解したからゾウムシが答えてくれたんですよね。そういう風に私は理解したんですけれども…。
実はこの世の中って全部楽なんですよね、心が変わるだけで…。心が変わらなければこの世はもう悪循環ですよね。そうなんじゃないかと…。結局人間関係も世の中もそうじゃないですか。「お前悪者だ」と言われると「なにくそ!」と思うじゃないですか。ゾウムシもこの野菜達についている虫達も、例えばこういう山の所に来ますと、イノシシとかキツネとかタヌキとか色々来るんですよね。そういうものすらも食べてる時は実は、最高の喜びで来てるはずなんですよね。何の罪悪感もないんですよ。そこに「お前、害虫!」って言われたら反感持ちますよね。人間だってそうじゃないですか。やられたからやりかえすというもので。その存在を認めてあげるだけなんですよね。必要があって居る、その意味をくみ取るという、それが「虫の知らせ」を如何にくみ取るかという事なんじゃないかと、そう思います。
私は最近、特に今年になってから、今まで持っていた知識とか経験とか、そんなものは全部放り投げようって思うようになってしまいました。
3、愛情のかけすぎ?
私は、本当無謀なところありまして、欲深いって言うかですね、ここの土地というのは開墾地で黒っぽい土じゃなく、赤土なんですよね。開墾して 8年目くらいなんですけど、初めの3年くらいは草
1本生えなかったんですよ。そこにいきなり「自然だ!」という事で、汚染されていない土だという事で、いろんなものを何でも作っちゃったんですよね。トマトでもナスでもキュウリでも何でも出来るんじゃないかと思ってしまったのです。
それが、ことごとく何も出来ないんですよ、もう全く予想に反して…。きれいな土だったら何でも出来ちゃうんじゃないかと思ったのですが、実はそうじゃないという事がやっと分かったんですよ。そこで大豆を植えるようになりました。私は、本当に無謀で、そういうことで失敗ばっかりで…、結局土を見てなかったなって、相手を見てなかったなという反省しました。
そしてまた、最近また気づいたのが、私は、(作物に)愛情かけすぎだって気づいたんですね。これ本当に気づいたんですよ、これまた。
というのは私、理想が高すぎちゃって、「この世を変えていく自然栽培ならば、大根なら、これでもか!というくらいの良い物が取れて当然だ!」という理想が高いんですね。もう目指すものが…。実はそれが、野菜畑に来ると、「おう、頑張れ、頑張れ!」っていう感じになるんです。
そこであるとき、ふと気づいたのが「これって、野菜たちにすごくプレッシャーじゃないか?」って思ったんですよ、野菜が…。これは私の家内(妻)が教えてくれたんですけど、病気になっているトマトを目の前にして、もう私がこう肩の力を落として悩み込んでいるその姿を見て、私の事を「そうなるからいいんのよ。出来なくて当たり前だと思ってればいいのよ。十分野菜達はがんばってるんだから、もういいじゃないか」って教えてくれたんですよ。
それまで私は「もっと頑張れ!もっと頑張れ!もっと元気になれ!病気なんかどっか行っちゃえ!」とか、力入りすぎてたんですよ。これ、人間で例えて言うと医者の子供みたいなものじゃないですか。医者が全部そういう風というわけじゃないですけど、例えば大金持ちの家とか、子供に英才教育をさせるじゃないですか。もうなんでもお金かけても、どんどんプレッシャーですよね。「お前は将来こうなって、こういう風に出世して医者なって…」そういう子供ほどグレるじゃないですか。もう、そのプレッシャーで「勉強やりたくない!もう、ほっといて!」…。
それよりは、「お前は生まれてきただけで嬉しい、本当に良いんだ。お前の自由にしなさい。出来るフォローはするけども、あとはおまえの選ぶ道だ」って言われた方が、すごく嬉しいじゃないですか。皆さん、今まで育って来た事思っても…。まさしく家内が教えてくれたのはそれだなと…。愛情のかけ過ぎって言うか、愛情、愛情でも内容が違えばそれはプレッシャーとなって害となってしまうんだっていう…。
私は、最近、畑に来てもあんまり熱入れないって言うか、必要な事はして、必要な声もかけますし、声かけると言っても内容色々ありますよね。声かけるのが良いと言えば只単純に言えば「頑張れ!もっと育て!」と言う事も「声」じゃないですか。私はそんな事だけじゃなくて「有難う」だけでいいと思ったんですよね。植物の世界は不思議ですよね、この土に種を蒔けば必ず芽が出て、育ってくれる。(私は)何にも出来ない、だから「有難う」なんですよね。そして、植物はほめられる事がすごく嬉しいみたいで…。例えば言葉のかけ方で、病気になって、もう瀕死の状態だっていう、あるじゃないですか家庭菜園されていても、実はならなくなってきた、虫がたくさんたかってきた…けど、そこで「頑張れ!
頑張れ!頼むから頑張れ!」って言うんじゃなくて、例えばその野菜の先端の新芽が青々として、そこだけ虫に侵されていない、病気になっていない、その姿を見て「ああ、すごいね!すごい力あるね!周りが全部病気でも、ここだけすごい力じゃないか!」って。そういうのが本当の声かけじゃないかなって…。心の切り替えはやっぱりそういう所って大切なんじゃないかっていう事を思いますね。
「また会えたね、」という感覚
今年もまた、野菜作りがはじまります。よしま農園では、野菜の種を「自家採種」と言って、畑で育った野菜が花をつけ、実をつけて、それが熟したようなものから、次世代の種をとることを心がけています。全部の種類の野菜をそうすることはできないのですが、できるだけそのようなことを行っています。一般的には市販の種を毎回買って使うのが普通です。
野菜は数ミリの小さな種から、土と、水と空気、適度な温度と光があれば、不思議なことに芽を出し始めます。この色々な要素のいずれのバランスを欠いてもうまく発芽せず、成長してきません。植物の誕生の偉大さを強く感じます。
さて、大地に生まれた、その尊い作物たちは大きく大きくなり、葉を茂らせ花を咲かせ、そして実をつけます。私たちに沢山の楽しみと、十分な食物を与えてくれます。しかし、時がくればどの作物もお役目を終え、次第に葉を落として枯れ始めます。秋は、収穫を終え、緑一面だった畑も、すっかり元のように土だけの姿になります。そのときは少しの名残惜しさも感じます。
そのときに植物が残すのは、また生まれる前にフィードバックしたモノ(小さな種)です。植物は命を終える瞬間までに、また命の出発点にまでもどした形を残していきます。命は終わらず、形が変わるだけということでしょうか。
このようにして、植物はずっと、長い年月、数万年、数億年と、命を続けてきたのでしょう。
そして春になり、私はまた、種を播きます。その種が芽吹くとき、その出会う命は、まさしく前年私に雄大な姿で育ってくれたその野菜そのものの命の延長です。改めて小さく再スタートしたその姿を見る瞬間、「また、会えたね。ありがとう」という気持ちがわいてきます。毎年種を買ってるなら、それは「はじめまして。これからよろしくね」になります。
作物は、種→小さな芽(赤ちゃん)→立派な姿(成人)→収穫(お礼)→種→小さな芽・・・→、というようにこの繰り返しで命が続いています。これは全てひとつながりの命で、決して途絶えることの無い姿です。輪廻(りんね)という言葉がありますが、人もまたきっと、同じことが起こりえているのだろうと思わされます。つまりは、命は途絶えることなくまたよみがえる、そしてまた出会う。
人の場合は自らが、魂という種をずっと廻らせていんだろう。きっと大切なのは、その人生のなかで次の転生(輪廻転生)に向けて、いかに成長した種(魂)を自ら残していくかということなのかもしれないなぁ〜。
(2006.2)