古代赤飯米【古代ぶれんど米】
小豆がなくても、手軽に赤飯ができます。
普通のお米に5%ほど(1合にスプーン1杯ほど)まぜて、炊くと赤飯のような風味あるご飯になります。
■古代赤飯米150g
販売価格680円(税込734円)
■お特用・古代ぶれんど米1kg
販売価格3800円(税込4104円)
*小袋の古代赤飯米150gとお特用古代ブレンド米1kgは内容物は同じです。
- 商品名
- 古代赤飯米 古代ぶんれんど米
- 原材料
-
- 保存と品質
- 保管方法によって変わりますが、冷蔵庫で保管、お早目に消費してください。
- 栽培方法
- 栽培期間中肥料農薬堆肥等不使用 →詳しくは栽培方法
- 生産者
- 飛騨高山よしま農園
古代米でおにぎり
炊きあがりイメージ
古代米でカレーライス色合いがキレイ
お客様の声
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色々な古代米を試すんですが、よしま農園のものがクセがなく、不思議と続けられるんです。(東京都A.O様)
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小豆が苦手なので、赤飯が今まで食べられなかったのですが、これがあれば、お米だけの赤飯になって、私にも食べられるのでとても嬉しいです。(静岡県E..U様)
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身体にイイ!!ッて感じがします。(東京都O.O様)
●子供たちがいつも喜んでご飯を食べる姿を見るのが嬉しいです。
「お母さん、いつもの赤いご飯たべたいなあ~」と、言われると、ついつい炊いてしまいます。(神奈川県U.A様)
●ブレンド米が毎日の食事に欠かせたことがない!(岐阜県E.Y様)
●古代米は手間がかかるとは思いますが、今後もぜひ続けてくださると嬉しいです。(東京都SY様)
●10月に朝市で購入しました。発芽玄米に混ぜて炊いています。めちゃくちゃ気に入りました。私のマイブームです(石川県NTさま)
●高山の朝市で古代ぶれんど米を購入してから毎年お願いして送っていただいています。
友人達にも少しずつ差し上げたら、また食べたいと催促されました。
ご飯がすすんで太ってしまう・・・なんて方もいらっしゃいますよ。(神奈川県KFさま)
【食卓が色合い豊かになります】
お米の種類と、そのはたらき
赤 米:お米のルーツであり、お赤飯の起源といわれています。赤色系色素(タンニン)はたんぱく質やミネラルなどの栄養分を多く含んでいます。
黒 米:おはぎのルーツといわれています。滋養強壮に優れ造血作用があることから薬米の別名もあります。
たんぱく質、ビタミン、カルシウム、マグネシウムなどが多く含まれ、黒色系色素(アントシアニン)は血管を保護し、動脈硬化、ガンを予防。
香り米・・・お米の香り成分が通常のお米の数十倍あり、小量混ぜて炊くことで風味と香りがよくなることで知られています。
例えば古米が新米のように、安いお米が高級米と同じような風味になる!、などなど面白い発見があります。
日本でも昭和初期頃までは、農家が家庭用のお米をより贅沢に味わうために水田の片隅に香り米を栽培していたといいます。
東南アジアの米市場では最高級のお米として最も高値のお米として定評があります。
高山もち・・・もち米の中でも飛騨高山よしま農園で栽培されるのは品種名が、その名も高山もち。
清らかな雪解け水を水田にひき、冷涼な風土で栽培されたお米の味は美味しいのです。
特に無肥料されるよしま農園のお米だからこそ自信はあります。
もち米は普通米に混ぜて炊くと、ホワッとした風味が生まれます。
もっと詳しく古代米の話
私は大学時代、農学部の作物学研究室に在籍し、有機農法と慣行農法の稲作について調査研究を進めていました。そのなかで特に、水稲の施肥条件や品種の違いによって生じるお米(玄米中)に含まれる微量成分量(特にMn)の違いについて調査を行ってきました。
品種試験では、当時研究室内で保存育成されていた稲の品種、80種の栽培を手がけました。
その80品種は、江戸時代から現代に至るまでに日本国内で栽培されてきたお米の主要品種を中心に、原種的なお米といわれる古代米などでした。その80品種の栽培は、まさしく稲の品種改良の歴史をたどるものでした。
品種改良(育種)とは、私たち人間が農業を行う上で、植物(作物)を人間にとって、より都合のよいものに変えていくための仕事です。人間にとっての都合といえば、それは高収量、高品質(味)、作業効率が良いものなどです。これを「育種目標」といいます。
近年、日本中どこの水田へ行っても、どこのお米屋さんへ行っても私達が目にするのはコシヒカリ、秋田こまち、ササニシキ、そして地方の品種の数種類だけではないでしょうか(実は日本の主なお米の種類だけで300以上はあるのですが)。またお米の栽培方法は戦後から大きく変わってきました。牛馬を使い田を耕し、大人数で田植えをし、稲刈りをするのはもう昔の事。今ではその作業が全て機械化され、たとえ一人であっても大面積を耕作できるようになってきました。
農業の機械化が生産効率を上げるためのものであれば、品種も機械に合わせたものに必然的に変わらざるをえませんでした。
古代米や昭和20年代ころまでに栽培されていた稲(以下、戦前米)の姿には近年の稲(以下、戦後米)にはない特徴がいくつかあります。
一目でわかるのが稲の草丈です。 戦前米は極端に低いか、極端に高いのです。左上の写真は香り米ですが、草丈が1.5m程あります。草丈が1.5mでは稲刈り機械のコンバインは使えません(私の農園では機械に無理をかけすぎて、何度も故障させてしまいました)
。戦後米は機械に合わせて草丈が平均して1m程になるような品種作りをしてきました。
次に、イネ科植物の特徴である芒(ぼう、のげ)は籾の先端に伸びるヒゲですが、戦前米には芒があるのに対し、戦後米から徐々に芒が消えていきます。
なぜ芒のない品種へと変わったのでしょうか。
これも機械に合わせた結果です。収穫された籾(稲から脱穀したもの)を籾摺り(籾を取り除き玄米にする行程)時に機械を使いますが、芒があっては籾どおしが絡み合い、機械内で詰まってしまうので機械での籾摺りは難しいのです。よって戦後は芒のない品種だけになってしまいました。
効率化、機械化のもとで排除されてきた昔の稲を栽培すると、確かに栽培が難しく、収量も低いのですが(収量は通常の半分から3割程)、特に古代米は、秋になると稲穂が赤く染まり、大きくなびく姿はとても綺麗で感動します。古代人のロマンを感じる瞬間です。