「現代農業」誌・2016年9月掲載記事・土壌肥料特集掲載記事 与嶋靖智
「肥料を入れない農業なんて、成り立つはずない」
「年々肥料がなくなって、長続きしないのでは?」
この栽培を説明する度に、いつも問われてきた言葉です。私がこの栽培に出会った一九九七年当時から、すでに長年の実施農家さんが全国各地で活躍されてきており、その現場の成果を見ることは、何にも勝る「論より証拠」であって、私がこの栽培に転換するときの心強い後押しとなりました。
私が無肥料栽培に取り組み始めて一三年ほど経ったでしょうか。収穫量は少ないながらも、惚れ惚れするほどの野菜たちに囲まれるひとときは、経営農家として何よりもありがたく、うれしいことです。
● 堆肥も入れない理由
無肥料栽培は、化学肥料・農薬はもちろんのこと、有機肥料(堆肥、米ヌカ、油粕、魚粕、腐葉土等)も施用せず作物を栽培します。放任ではなく、営利目的農家の実施可能な栽培です。耕起、除草等は必要に応じて充分に行ない、作物を管理します。マルチ栽培やハウス栽培も積極的に行ないます。近年では「無肥料自然栽培」「無施肥無農薬栽培」「スリーエフ農法」などと称し、消費者の需要が実施農家の増加を後押ししています。
無農薬なら理解できても、なぜ堆肥も入れないのでしょうか。かつて有機無農薬栽培を実施していた私が無肥料栽培に転換した原動力となったのは、消費者からの需要と声でした。それは、年々増加している化学物質過敏症に悩む患者さんの悲痛な叫びでした。「無農薬野菜でも、食べると病状が悪化することがあります」「無農薬はもちろんですが、堆肥も使わない野菜が欲しいのですが……」
化学物質過敏症は、住環境で起こるシックハウス症候群として知られていますが、食物で発症する場合は、食物中に含まれる極微量な検出限界以下の不特定化学物質が原因ではないかと言われています。
一般的に有機肥料と堆肥中のチッソ成分は、土壌に過剰に蓄積すると、日照不足などの天候によって作物体内に未消化の硝酸態チッソとして残り有害になることが広く知られています。化学物質過敏症の場合は、病状を悪化させているのは、畜産糞尿堆肥や一般有機肥料の元の原料に含まれる極微量な化学物質が土壌に蓄積し、それを作物が吸収したためではないかと推察されたのです。食の安全性を追求したらきりがありませんが、単純に「人によいもの、人に必要とされ、喜ばれるものを生産したい」という想いのまま、無肥料栽培に転じてきたのでした。
● 畑と作物の相性に気づく
理想は高かったものの、いざ実施の段階になれば、あらゆる問題が出てきました。作物が育たないという経験は十分すぎるほど繰り返し、挫折してしまいそうなときも何度となくありました。なぜ作物が育たないのか、なぜ収穫量が少ないのか。「それは肥料がないから」という答えが一般的ですが、肥料を入れないことを選んだ以上、そうではなく「どうしたら作物が育ち、収穫できるのか」を工夫し、試行錯誤することを大切にしました。
この栽培では、圃場と土壌の条件によって育ちやすい野菜と、育ちにくい野菜がはっきりしてきます。単純に肥沃か、やせ地かということではなく、作物と圃場の相性があることに気づきます。本当に土に力がついてくると、肥料がなくとも作物の種類を選ばずとも、作物が豊かに育つそうですが、そのような万能な土壌が短期間で整うことはありません。
まず大切なのは、作物と土壌の相性に気づくことでした。例えば開墾地のやせ地でもソバは育たず、大豆や小豆はよく生長しても実をつけようとしない、それでもダイコンは立派に育つ畑があります。または、肥沃で耕土も深い条件であってもナス科の作物はうまく育たない、しかし、レタスやカボチャ類は立派に収穫できた……など。土壌の要素バランスの問題とは思いますが、何も施用しない栽培では、そのアンバランスはそのままです。したがって、経験的に気づいた土壌と作物の相性をもとに作付け計画を立てます。
● 作物主導の栽培でじっくり育つ
また、この栽培独特の作物の育ち方に気づきました。ゆっくり生育するため、通常よりも長い生育期間が必要になることがあります。春ダイコンは生育期間が二カ月のため十分なサイズになりませんが、秋ダイコンは、晩秋までじっくり三カ月以上かけて生長させることで、一般並のサイズで高品質のものが収穫できました。
ゴボウも春に播種して通常なら約四カ月生育し秋に収穫ですが、それをさらに越冬させることで翌春に満足ゆく品質で収穫できたなど、一般的作型の既成概念を崩すことで見つかった新しい作型があります。
肥料と農薬は、作物の生育を好都合にコントロールするためのアイテムのようなものです。無肥料栽培では作物をコントロールする技術はなく、作物主導の農法になります。作物が肥料に依存せず、自らの生きる力で育つようになりますから、根圏は広くミネラルを吸収する毛細根が増えます。
ただし、初期生育は弱く貧弱です。苗の定植後は、ほとんど動かないくらいじっとしている期間が二週間ほどあり(この期間に根圏が著しく増大)、その後に急激に地上部が生育しはじめる姿になります。まずは土台をガッチリ築いてから生育するということでしょうか。
● 作物が判断する、応援してくれる
そして作物が判断力を持つようになるので、栽培がラクになります。作物は先の天候を知っていますから、必要以上の水分、養分は吸わなくなるので、早朝に葉水は持たなくなります(葉水は人でいうと飲み過ぎ、食べすぎ)。また、声をかければ葉やつるを動かし、YES、NOで返事をするようになります。すると、作物づくりがやさしくなります。
作物の判断力を引き出して作物に任せたら、作物が農家を応援しているかのような結果が起こることがあります。以下は、作物主導の栽培をする農家さんが経験されたことです。
・取引先から一週間特売をするために、通常の収穫量の倍の注文が入った。すると、その期間中は収量が倍になり、特売期間の一週間終了と同時に元の収量に戻った。(栃木県)
・ヨトウムシがレタス畑にいるが、レタスの葉一枚たりとも傷つけず、一生懸命、草(雑草)を食べる益虫として働いてくれている。(熊本県)
・イノシシの防御策を何も講じていないが、イノシシは田や畑に入らず、アゼ道を歩いてくれている。(熊本県)
● 無肥料栽培についてのよくある質問
①作物残渣はどうする?
なるべく外に持ち出します。やむをえずすき込むときは、耕耘を繰り返し、未分解有機物を早く分解させます。このとき次作までの腐熟期間を最低二〇日以上とります。土中の未分解有機物は、ピシウムやフザリウムそして根こぶ病などの原因となるようです。
また、分解時の有機性ガスは根を傷め、生育不良を引き起こします。水稲の場合、イナワラ残渣が水田へ還元されますが、それが田植え後のガスわきを引き起こし、イネの生育を阻害することはよく知られています。
作物残渣が肥料分になるのでは?と推測されるかもしれませんが、実際にはその成分は微量で十分な肥料源とはなりえません。大切なのは未分解有機物の弊害を避けることです。
②土づくりは?
圃場環境にあった作物栽培をしながら、自然に土がよくなってゆくという考え方。特別なものを入れることはありません。施肥と薬剤以外の、一般的な作物栽培の基本管理技術を尊重します。
③輪作、混作などの工夫は?
土に合う作物を見つけるためにも、様々な種類の作物栽培を試みることが大切。混作は作物間の相性を尊重することに配慮します。具体的に、ピーマンとトマトは合わず、ミズナ・レタス類とホウレンソウも相性がよくありません。それらを隣あって作付けするとお互いに生長を弱め合うことがあります。
④病虫害、雑草対策は?
過剰チッソがないため、虫害は激減します。それでも作物適期に外れる作付けは虫害にあいます。また、残留肥料が減少するほど雑草の量が減り、作業がラクになりますが、適度な除草は必要です。
● 輸入肥料資源にはいつまでも頼れない
今や世界の農業は、農薬と肥料を大量に使って生産量を追求した結果、土壌が疲弊し、環境汚染(地下水汚染)が深刻化しています。
また、これから先の世界の食料を考えるうえで見逃すことのできない事柄があります。それは肥料資源の不足です。肥料の三大要素といわれるチッソ・リン酸・カリウムのうち、リン酸とカリウムについては、それぞれリン鉱石、カリ鉱石が主原料となっており、その採掘資源の世界的枯渇が叫ばれています。化学肥料に代わる有機肥料においても資源の枯渇が深刻です。じつは日本の有機農業を支えているのは大量の輸入有機資源です。今後、諸外国が食料のみならず肥料資源を安定的に日本へ輸出するという保障はありません。
日本の農業は、高騰する肥料等を利用してでも、高い収穫量を維持していく慣行栽培を続けるか、逆に省資源でも実施可能で、大自然に協調し持続的に営む栽培か、その二極化した農法の選択を求められるときが目前ではないでしょうか。
● 儲ける農業から喜ばれる農業へ
「無肥料栽培は、お任せの農業だから、欲があったらできない。欲がないほど増収する」と言われた農家さんがいます。無肥料栽培は、儲ける農業から「結果的に儲かる農業」になるでしょう。
これからの農業は、企業的経営よりも個人経営が尊重されるかもしれません。企業的な経営は、まず利益の追求ありきで、投資に対する売り上げを必ず想定し、経費を償却し、ともかく利益を求める計算のうえに成り立っています。それに対して、個人的な農家では、損得よりもまず作物に重点が置かれ(作物主体)、結果的に日曜、祭日も休まず、夜中の見回りさえいとわない場合も多くなります。その姿勢は作物に対する愛情であって、やさしさと思いやりに他ならず、また、よい作物をつくりたいという願いそのものです。
もちろん高値で売れるのもうれしいのですが、消費者の方から「本当に美味しかった、食べ続けたら身体もよくなった、家族の仲がよくなり、家の中の雰囲気も明るくなってきた」などとお礼を言われることは何ものにも代えがたいほどうれしく、作物をつくっていて本当によかったと心から思えます。農家の心が作物に反映して、結果的に食する人の心にまで働きかけるようです。食は人の心と身体を創ります。喜びの農業こそ、農家としての醍醐味ではないでしょうか。
そして今、農家の心のあり方が問われているようです。この栽培は、作物に肥(こえ)は与えず、声(こえ)をかけてお世話していきます。農家の愛が何にもまさる肥料だそうです。野菜たちから教えられます。「自然の世界では、損得や駆け引きはいらない」と……。