うわさの無肥料栽培とは
「現代農業」(農文協)誌・2005年9月掲載記事・土壌肥料特集
「農家が教える自然農法」(2016.農文協)掲載記事 与嶋靖智
- 「有機農業」とも「放任栽培」とも違う「無肥料栽培」
- 「肥毒(ひどく)」=肥料の害、という考え方
- 無肥料でなぜ作物が育つのか
- 植物の根の自作自演 チッソ固定菌も菌根菌も無肥料でこそ生きる
- 現在の科学では説明できないが……
- 無肥料栽培実施にあたって、取り組むべき課題は大きくあげて二つ。
- 土にたまった肥料を抜く
- 物理性改善は、無肥料栽培でもとても重要
1.「有機農業」とも「放任栽培」とも違う「無肥料栽培」
もし、私が有機農法で十分な収穫を得て、経営が安定し、品質・味・安全性ともに満足のいくものが生産できていたならば、決して無肥料栽培には踏み込まなかっただろうと思う。もともと化学肥料・農薬を使用する農業には抵抗があったので、無農薬への自分自身の信念だけは通そうというチャレンジ精神はよかったのだが、実際に有機農法に取り組むと様々な障害が生まれてきた。
「土づくりさえしっかり行なえば病虫害がなくなる」とは、有機農法の格言のようなもの。
いいといわれる資材をいろいろ試し、お金もかけた。しかし……、解決できることよりも年々膨らみ続ける問題のほうが大きくなり、ついには極端な減収と、品質の低下を余儀なくされてしまっていた。
「私がこれから先、何十年努力しても無農薬は無理かもしれない……」こんな思いが年々膨らんできていた。その私に、起死回生にもなるような指針を与えてくれたのが無肥料栽培であった。
「無肥料栽培」とは、化学肥料や農薬はもちろんのこと、有機肥料(油カス、魚カス、骨粉、堆肥などを含む)などをいっさい使用せずに栽培する農業である。そして、決して放任栽培ではない。適度な除草や耕起は十分に行なうし、各種作物に適ったマルチ栽培、ハウス栽培などを否定するものでもない。
しかし……、それで農業経営が成り立っていくのだろうか。肥料なしでは土から養分を搾取するばかりで、土は年々痩せていき、ついにはまったく何もできなくなってしまうのではないか……と誰でもが思う。げんに私も最初はそうであった。だが、事実はそれとは反し、この農法を実施する農家が近年全国各地で急速に増加している。
なかには農家として二〇年以上もこの栽培を実施し、相当の成果(収量は、その地域の一般慣行栽培の一割から二割減が平均)を上げている人もいる。
2.なぜ、無肥料栽培なのだろうか。
実施農家の多くが「肥料は毒だ」「肥料で土が弱る」という。
一般的に肥料の害として知られているのは、化学肥料の連用による弊害である。土壌微生物(生物性)の激減や土壌物理性の悪化(単粒化)。有機肥料だとそのような弊害はないといわれているが、別な形で害を生むことがある。
有機物を未分解の状態で土に混入すると、それを分解するためにあらゆる微生物が旺盛に働く。このとき、分解程度が浅いほど、土壌病原菌に属するフザリウム・ピシウム・ネコブセンチュウなどの増殖を促し、発生する未熟ガスが作物の根を傷めてしまう。
ところで、土壌の状態の良否は、ベッド(ウネ)の土と、その上のマルチの内側につく水滴(マルチ水滴と呼ぶ)のpHの違いでわかる。通常の原野などでは、この両者間には差がない。しかし、施肥栽培を繰り返し、未熟な有機物の連用を繰り返しているようなところでは、ベッドの土よりもマルチ水滴のほうが酸性になっている。現在の日本のほとんどの耕作農地がこの状態にある。逆にいい土といわれる状態は、マルチ水滴の
のほうが高くなる。無肥料栽培では、この状態の土になることが目標である。
また、「肥料は毒だ」といわれる最も代表的なことに、農産物中の硝酸塩(硝酸態チッソ)による人体への害がよく知られている。硝酸塩は人体に入ると、血液中のヘモグロビンと結合し、極度の酸欠状態と呼吸阻害を引き起こす(チアノーゼ現象)ほか、体内のアミノ酸と結合し、ニトロソアミンという発癌物質にまで変化する。近年このことが広く知られるようになり、減肥の必要性が叫ばれ始めたが、実際の現場レベルの農業においては収量の減少を懸念して、なかなか解決に動かないのが現状ではないだろうか。
また、減肥対策の一環として化学肥料から有機肥料へと移行する産地も多く出てきたが、実際の収穫物中の硝酸塩を計測すると、かえって有機肥料施用時のほうが硝酸塩残留度が高く計測されてしまったという事例が数多く報告され始めている。
有機・無機を問わず、施肥に伴う過剰チッソは様々な障害を生み出す。土壌中の塩類濃度の上昇は浸透圧を高め、作物体から水分を逆流させる「根焼け」がおこるリスクや、硝酸塩が土壌に集積するとカルシウムやマグネシウムなどの塩基の流亡が促進されてしまうこともある。また、特に過剰チッソ施用は、農地の周辺水系の富栄養化や地下水の高濃度チッソ汚染にもつながっていることを忘れてはならない。
3.無肥料でなぜ作物が育つのか
さてしかし、無肥料なのになぜ作物は立派に育つのであろうか。これはなかなかの難題である。
▼植物の根の自作自演 チッソ固定菌も菌根菌も無肥料でこそ生きる
植物は、光合成などの同化作用によって生まれた物質の一部を、根の表皮細胞から高分子の有機物(ムシゲル)として放出している。このムシゲルはC/N比が高く、チッソ固定菌や菌根菌などの活動を促進している。これらの微生物が外界から集めてくるチッソやリン酸などの量ははかりしれない。
また、意外に多いのが根の脱落細胞。地中には、作物自身がどんどん根を張らし、新陳代謝して細胞を脱落させる。ときには枯死した残根という形でも地中に有機物を供給する。これらはムシゲルとは逆にC/N比が低いため、タンパク質分解微生物が根圏を取り巻いて活性化し、その働きに伴って多量のアンモニアを生成させている。
このように、根が分泌した有機物は、新しい物質へと変化し、根に再吸収されていく。植物は自らが生き繁栄するために、周りの土壌と微生物を根の働きによって豊かにし、そこから自らが生長する糧(肥料)を得るという、まさに自作自演で生長するような仕組みを持っている。
ここで注目すべき点は、このような作物の自作自演現象が、施肥条件下では著しく劣ることである。無施肥条件で土壌中の残留肥料がなくなったときほど、チッソ固定菌、リン酸吸収を助ける菌根菌などは増殖をはじめ、菌体肥料として直接作物を助ける力となるのである。
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現在の科学では説明できないが……
これらの微生物の働き、また降雨や地下水に含まれる肥料分、そして地力チッソの放出……など、無肥料栽培のチッソ源はもう少し挙げられるかもしれない。だが、それら天然供給のチッソ量を「過大評価」したとしても、やはり、無施肥条件下で長期にわたり作物が一般栽培に劣らないほどの収穫できるという理由を、今現在の農学の範疇では十分説明できない。
現在の施肥農業は、植物を生育させる栄養素はチッソ・リン酸・カリのほかに一六種の必須微量元素が必要で、植物の生産量は最も不足する無機成分量に支配されるという「最小養分律」の概念が基本になっている。したがって、不足成分をバランスよく補うことが大切になる。しかし無肥料栽培の場合、不足成分を人為的に補うことはない。植物は必要不可欠な成分をどのように得ているのであろうか。
その答えとなる説のひとつに「元素転換」がありそうだ。一般の化学では異端視されている説だが、量子力学の見地からすると、その正当性が成り立ってくるそうである。
元素転換は常温核融合と同じく、ごくわずかなエネルギーでも起こり得るといわれている。そのエネルギーのもとになっているのが、植物と人間が共通してもつ微弱な生体電流だともいわれ、特に人が放つ生体電流は作物の生長に大きく影響を与えているのだそうだ。
簡単にいえば、農家の体や心の状態までもが作物に影響する。つまり農家が愛情をもって作物に接し世話をする、その心の声(こえ)こそが、見えない肥(こえ)になっているのかもしれない。
本誌三月号で紹介された旧暦を応用した農業も、宇宙規模の生体電流(月の場合は引力)の影響だと解釈すれば説明ができよう。このようなエネルギーは、すぐさますべての農地で作用するとはいえないだろうが、条件さえ整えば、無尽蔵に供給されるらしい。
無肥料栽培に移行するには これまで普通に肥料や農薬を使って農業をやっていた人が無肥料栽培に転換した場合、すぐに安定的な収穫を得られるということはまずない。土壌が無肥料栽培にかなうように変化し、生産量が安定するまでには三年から五年ほどかかるといわれている。
4.無肥料栽培実施にあたって、取り組むべき課題は大きくあげて二つ。
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土にたまった肥料を抜く
ひとつには、土壌中に含まれる残留肥料と未分解有機物をできるだけ早く除去浄化させることである。長期的にみた無肥料栽培の収量の推移は、その残留肥料が抜けるまでの期間は減収するが、抜けきったある時点からみるみる収量が増収へ転ずる傾向がある。ある時点から土壌の何かが変わるのである。
残留肥料が化学肥料主体の場合は溶出が早く残留性が低いため、数年のうちに土壌が変化する。しかし有機肥料の場合は土壌粒子との結合が強く、溶出と分解も緩慢で残留肥料(肥毒)が抜けるのが遅いため、土壌の変化には長年を要する傾向にある。
二つ目は、田畑の環境整備と物理性の改善である。
たとえば水はけの悪いところは改良し、畑地で耕盤層がある場合はそれを解消する。また、作物ごとに合った栽培体系をさらに研究し、好適な栽培環境づくりに努めることが大切である。この点は農業の基本であるが、一般には施肥という外力によって、そのような内的環境要因の優劣が見えにくくなっているのも事実であろう。
無肥料栽培で尊重するのは、施肥概念の最小養分律ではなく、作物のもつ力を最大限に発揮させられるための「最小環境律」の向上である。ちなみに、現在の作物品種は多肥要求性のものが多いことから、それとは逆の無施肥条件に十分適うような品種があれば理想的である。それには農家による自家採種が最もよい。
5.大自然と土の偉力を感じよう
無肥料栽培の作物は、施肥によって生じる物質的な過剰がないため、病虫害が極めて少なくなる。これは、自然の原野山林がそうであることにも共通している。
【儲かる農業から、喜ばれる農業へ】
実施農家は、「転換後数年は不安定だったけれども、品質も格段によくなってゆくことが実感できる。」「よいもの、美味しいものができて、なによりもお客さまから、喜びの声が寄せられるようになって、農業にやりがでてきました」などと、皆共通して口にし始める。
あわせて極端な天候の変化や生理障害に影響されない強靭な作物が育つ状態となり、そこから収穫される農産物は中国漢方医学で言われる
「上薬」以上の働きをもつような力強い農産物が収穫できる。
無肥料栽培に固執し、すぐさま実施することは難しいとしても、現在の過剰施肥がもたらしている様々な土壌障害を今一度見つめなおし、今まで気付かなかった、はかりしれない大自然と土の偉力を見出すべき時期が来ているのではないだろうか・・・。
無肥料栽培はその新しい可能性を感じさせる。
「現代農業」誌・2016年9月掲載記事・土壌肥料特集掲載記事
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肥料と農業の歴史と、その未来 (日本化学会誌掲載記事2005年「化学と工業」誌、日本化学会 発行、Vol.58-6 june 2005・CHEMISTRY
& CHEMICAL INDUSTRY 与嶋靖智 投稿記事)
「特集・・・食糧と化学を考える」
掲載記事・666-667肥料と農業、食糧生産の歴史的背景を検証し、現在の世界的情勢を踏まえたうえで、将来の農業の進む姿を指し示しています。
- はじめに
- 収量倍増の歴史的功績
- 新たに取り組むべき問題点
- 資源の枯渇
- 今後の展望
これからの農業は・・・【スリーエフ農法 藤野順弘氏公開文集】より
詳しくは、藤野順弘氏公開文集へ
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